「NECパーソナルコンピューター PC-8001誕生40周年記念記者会見」に出席に寄せて

9月に入り、残暑が続きますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?
さる2019年8月5日、ゲーム保存協会は光栄にも「NECパーソナルコンピューターPC-8001誕生40周年記念記者会見」にご招待いただきました。日本のパソコン文化の歴史の歩みと、それに関わる多くの人達に温かく祝福された素敵な会見でしたので、皆さまにレポートいたします。
80年代からのマイコンファンとして、少しでも会場の雰囲気とワクワクした気持ちを共有できますと嬉しく思います。

展示の様子

会場では、NEC歴代のパソコンが、当時の流行・文化の年表とともに展示されていました。
TK-80から始まり、PC-8001、PC-6001、PC-9801などのマイコンから近年のパソコンまでがズラリと並ぶ姿は圧巻でした。(PC-88がなかったのが少し寂しかったです。笑)

TK-80/PC-8001の前身であるトレーニングキット。後述の西氏スピーチで語られるが、左上から4番目に空のソケットが見える

 

PC-6001

PC-6001/熱狂的なファンも多い、愛称はパピコン

PC-100

PC-100/アスキー創業者・西氏スピーチで語られたWindows1.0世界1号機、世界初マウス・インターフェース

そして今回のイベントでお披露目になった記念モデル「LAVIE Pro Mobile」。

40th-model

PC-8001をオマージュしたカラーリングのデザインで、機体にはキラリと光る旧NECのロゴが入っているシックなデザイン。本体もかなり軽く、男女年代問わず持っていて違和感がありません。「欲しい」と思える、シンプルイズベストという言葉がぴったりの非常に美しいパソコンでした。

そして皆さんお待ちかねのPasocomMini PC-8001です。

pasocomMini

操作方法がわからなかったので、ハル研のスタッフの方にサポートしてもらいながら、いくつかゲームを遊ばせていただきました。
せっかくですので、少し「平安京エイリアン」を遊んでみました。実は初プレイでしたが、なかなか奥が深く、何度もプレイしてしまいました…!

 

会見の流れ

時間になり会見が始まりました。会見の流れは以下の通りでした。

・デビット・ベネット社長のご挨拶
・元日本電気支配人の渡辺和也(わたなべかずや)氏のスピーチ
・元日本電気PC-8001開発者の後藤富雄(ごとうとみお)氏のスピーチ
・アスキー創業者 西和彦(にしかずひこ)氏のスピーチ
・新製品プレゼンテーション/炎神(えんじん) 総合プロデューサー森部浩至(もりべひろし)氏
・エンディング(デビット社長の挨拶)

 

―デビット・ベネット社長のご挨拶

デビット社長は日本語がとても堪能で、NEC PCのヒストリーから、今回のPC-8001 40周年イベントの主旨、40周年記念 限定モデル「LAVIE Pro Mobile」の発表がありました。デビット社長もPC-8001と同じ1979年生まれで、運命的なものを感じました。デビット社長が限定モデルのパソコンを立ち上げた際、旧ロゴ「NEC」が表示されて会場では歓声が上がっていました。ちょっとしたサプライズでした!
PasocomMini PC-8001は、購入者キャンペーンでプレゼント。こちらはPC-8001をエミュレーションし、しかも当時マイクロソフト社が開発したN-BASICを搭載するとのこと。これは凄い話です。

 

―元日本電気支配人の渡辺和也氏のスピーチ

PC-8001誕生までのお話を拝聴しました。
当時、市場の強い要望に応え、TK-80上位機種を求める声が高まったことがPC-8001誕生の背景になったとのこと。NECは技術情報を積極的に開示し、結果サードパーティと共存共栄したことが成功の秘訣だったようです。TK-80の解説本「マイコン入門」は、松本清張の「砂の器」と並んでベストセラーとなり、当時のパソコンの熱いムーブメントを感じますね。

PC-8001発売にあたり、基本ソフトの必須条件としていたのは2点。

1 . 出来るだけ多くの人に使ってもらうため、将来デファクト・スタンダードに近づけるもの(技術優位よりユーザーフレンドリー)
2 . 使用実績があり、バグ取りがかなり進んだもの(前機種では、かなりバグが多く、非常に苦労した)

結果、マイクロソフトのN-BASICを選択しましたが、当時のマイクロソフトは当時立ち上がったばかりで、従業員規模は12、3人と小さかったため、「取引するのはマズイのでは?」という声もあった苦労を語られました。PC-8001発売後もオープンポリシーを継続し、サードパーティーと共存することがNECのトップシェアをキープする要因となった、とのことでした。
40年も前に積極的に技術開示をする姿勢は、非常に先進的に感じられ、パソコン文化を盛り上がげていったのも自然だなと頷けました。

 

―元日本電気PC-8001開発者の後藤富雄氏のスピーチ

担当技術者として、どう関わったかのお話をいただきました。
後藤さんは、学生時代まではコンピューターが一切なく、NEC入社後にPDP-8(DECが製造したミニコンピューター)をしゃぶりつくすように研究したのがきっかけ。
マイクロウェーブのNECということで憧れて入社したものの、実際はマイクロエレクトロニクス、半導体事業部へ配属。しかしそこには、素晴らしい先輩・仲間、若い技術者を大切にされた素晴らしい環境があったとのことでした。
九州日本電気へ出向すると、LSIテスターを行って、コントローラはしゃぶりつくしたPDP-8を使用。コンピューターのハード・ソフトを独習していったのです。

マイクロプロセッサが誕生すると、マイクロプロセッサを使う人に教育をしなければいけないということで作ったのがTK-80でした。
そして、PC-8001へ繋がったのは、ホビイストが集まる秋葉原のBit-Inn。その中で聞いたところ、遊びの訴求ではなく、実用になるような、しっかりとしたものを作ってほしいとの要望がありました。そのためには、超強力なBASICが必要で、西さん、渡辺さんとの出会いがあり、ビル・ゲイツさんの所まで飛んでいき、やりましょうという話になった。フロッピーやディスプレイなど、色んなハードを動かすことを実現できるのはマイクロソフトのBASICだけだったのでは、としみじみ語っておられました。

最後に、今までのパソコンは個人の知的能力を拡大する道具だったが、これからは、ネットワークで繋がったPC・モバイルは、地球規模での人類の知的能力、コミュニケーションを拡大し、人類が抱える問題を解決できる可能性がある、との話で締めくくりました。
後藤さんを取り巻く素晴らしい人々と、未来の光を感じさせるような素敵なスピーチとなりました。

 

―アスキー創業者 西和彦氏のスピーチ

西さんからはNECを外から見たお話をされていました。
独特の語り口調と憎めないキャラクターで、ビル・ゲイツ氏との出会いや当時のパソコン変遷を面白く語られ、会場を沸かせます。

原点はアマチュア無線で、西さんはTK-80を見て「へぇー!」と非常に感動。よく見ると、TK-80は空のソケットがあり、「ここにBASICを乗せよう!」と思ったのが全ての始まり、だったとのことでした。
その後は、アスキーでも初期パソコンが出るたびに、酷評レビュー。渡辺和也さんがオープンマインドな方で、「悪口を書いてもってこい」とのことで、素晴らしいと思ったそうです。

ついには僕たちで理想のパソコンを作ろう!ということで、ビル・ゲイツ氏と話をして「こういうパソコンを作ろう、NECへ提案に行こう」と言って出来たのがPC-8001だった、とのことでした。その後も次々にNECへ提案を持って行って、マイクロソフトのコラボレーションがありがたかった、とのこと。
印象的だったのは PC100の提案で、これはWindowsパソコンの世界1号機。Windows1.0 が動き、マウスも動いて、凄かった。NECはPC-9801で一本化され、政治によってつぶされたとのことでした。マイクロソフトでは新規事業を担当。その後も、WindowsとCD-ROM、半導体、デジタル オーディオ・ビデオ、タッチスクリーンの携帯など多くの事業を手掛けられたお話をしました。そして40年前から一緒にタッグを組んだ後藤さんと一緒に、これからはIoTということで活動中です。

西さんも後藤さんも40年経っても変わらず、現在進行形で新しい技術に対して、意欲的に取り組んでいらっしゃるので、まさに生涯現役といった印象です。
決して昔の語り草ではなく、過去、現在、そして未来まで。まるで一緒にタイムマシンに乗っているような心持ちで、身が引き締まる思いでした。

 

―新製品プレゼンテーション/炎神 総合プロデューサー森部浩至氏

森部さんからは新製品のプレゼン。前段の背景として、パソコンは、ツールからパートナーへ進化していき、今後は「Pro(ワークスタイル改革)/Education(教育改革)/Home(ライフスタイル改革)」の3軸をフォーカスしていくというお話がありました。
そして、最後にサプライズ。なんと、どこかで見たようなロゴが映し出されました!

当協会のルドン理事長も大好きな、あのゲームハードを彷彿とさせますね(笑)。
今後はNECとしてもゲーミングPCを展開していくとのことで、かなりインパクトのある発表でした。

 

なお、各登壇者スピーチの合間には、関係各社からのビデオメッセージが流れ、マイクロソフト、インテルから、なんとマウスコンピューター、富士通など、競合会社の方も含めて、会場の場を和ませるメッセージが寄せられました。

印象的だったのは、富士通からのコメントです。NECを「お兄さん」、富士通を「弟」と呼び、終始お兄さんの後を追いかけ、伴走し、切磋琢磨してパソコン業界を築いた軌跡をお話いただき、会場では、この真剣な「お兄さん」語りの絶妙な可笑しさに、会場は笑いに包まれました。

 

そして最後は、デビット社長の挨拶。
「炎神」について。よく「NECはゲーミングPCは作らないのか」と聞かれるが、実は40年前にゲーミングPCを作っていた、それがPC-8001。だからゲーミングPCの名前は炎神・フェニックスとし、ゲーマーを満足させるものにするとのコメントがありました。
今回の40周年は、NECだけではなく日本のPC業界、皆でお祝いしたかったので、このように各社からのメッセージを集めた、日本のメーカーが本気になれば、世界が動く製品になるはず。それをやりますので、期待してくださいと、力強いメッセージで締めくくられました。

終了後は、出席者の懇親会が開催されました。
電波新聞社の大橋編集長が乾杯の音頭を取り、ベーマガ復活の狼煙を上げた「電子工作マガジン」が非常に好調で、ファンの注目を集めていることをPR。多くの関係各社・人達から支えられ、今日を迎えられたという暖かい気持ちのまま、和やかな雰囲気で会場を後にしました。

 

会見に出席して

貴重な会見に出席させていただき、関係者の皆さまには改めて深くお礼申し上げます。
パソコンの歴史書を紐解く瞬間に立ち会えた心持ちです。

 

40年以上も前から綿々と情熱を注ぐ作り手、メーカー、そしてパソコンに魅了されて盛り上げていったユーザーの皆さん。今のIT業界のリーダーシップを取っている方々からのビデオメッセージを見ると、「あぁこの方もNECのパソコンで育ってきたんだなぁ…」と共感し、じんわり嬉しくも暖かい気持ちがこみ上げてきました。
今日の日本パソコン文化を牽引した立役者は、NEC抜きでは語ることはできません。

 

TK-80を経て、改めてフォーカスされた、NEC初の本格的なパソコン「PC-8001」。
記事を読んでいる方の中には、「何故PasocomMiniは、PC-8001なの?」と思った方もいらっしゃるかと思います。ですが、PC-8001・40周年記念会見が、テレビのニュースでも報道され、話題になったことは、日本のパソコン文化の原点に立ち返り、非常に重要で、意味のあることのように感じます。
また当時のマイクロソフトと協業して作られたN-BASICが搭載されたPasocomMiniで、現代の技術環境で動かせるというのは、改めてとても感動的な気持ちになりました。

 

ゲーム保存協会は、次世代へ日本のパソコン、ゲーム文化を伝えるためのPasocomMiniに期待を寄せており、今回も資料提供など協力をさせていただきました。
これもひとえにサポーターの皆さんのご支援があって、本プロジェクトへの協力・支援に繋がったと実感しております。

 

支援してくださる方々のパワーが集まって大きくなり、確実に成果となって実を結んでいます。自分も参加したい!と思った方は、サポーターとしてご支援いただけますと幸いです。メンバー一同の励みとなり、より一層の成果となるよう活動に取り組んでまいります。

★サポーター参加はこちらから

今回の記者会見の出席者には、PasocomMini PC-8001本体がレビュー用試作機として贈呈されました。今後もゲーム文化の保存の一助となるPasocomMiniを応援すべく、保存協会メンバーでの使用レビューを記事にしたいと思いますので、どうぞ楽しみにしていてくださいね。

 


【関連サイト】
・NECダイレクト 40周年記念 限定プレミアムモデル
・ハル研究所 PasocomMini公式サイト

投稿カテゴリー:報告投稿日本記事