【2020年5月発行 GPS News vol.10掲載】
※本記事はゲーム保存協会の過去の活動を知ってもらうことを目的とし、当時そのままの内容で掲載しています。
皆さんはソフトバンクというと何をイメージしますか?携帯電話の会社、あるいは人によってはYahoo!を思い浮かべる方もいるかもしれません。ですが、白いワンコのCMでおなじみ現在のソフトバンクができる前、80年代前半のソフトバンクをご存知の方はどのくらいいらっしゃるでしょう。ソフトバンクグループの現CEO孫正義さんの足跡と合わせて歴史をたどっていくと、意外なことにソフトバンクはゲームの世界と密接な関係を持っていることがわかります。
「ソフト」「バンク」はもともと二つの単語。ソフトとはSoftwareのことですが、もともとソフトバンクは、バンク(Bank)、つまり金庫のように一か所にたくさんのソフトウェアを集める会社というイメージがありました。
インベーダーの大ブームで、ゲームが一躍注目を集めた70年代後半から80年代、孫さんはアメリカでビジネスを展開し成功していました。当時のアメリカは日本より一足早くパーソナルコンピューターが広まっており、会社でも家庭でも、PC用ソフトウェアが良く売れました。
当時、アメリカではソフトの開発はもちろんですが、それ以上に、このソフトの流通を手掛ける会社が大きな利益を生むビジネスとして成功しており、特に企業向けのビジネス・ソフトの売り込みや流通には、日本でも今後ニーズがあると感じていたのでしょう。帰国した孫さんは、早速、日本にはまだ存在していなかったソフトの流通業を行う会社を設立、株式会社日本ソフトバンクが誕生しました。
現在のソフトバンク社のHPをみると社歴から80年代の最初のソフトバンク設立の話はなぜか抹消されていますが、ソフトとバンクの社名も、そもそもソフトウェアを扱う会社だったことを見ると納得で、当時はソフトバンク社が、全国のマイコンショップにソフトウェアを流通させ、企業にはビジネスソフトのカタログを使い営業を行うなど、事業をどんどん拡げていったのです。
アメリカで一足早く始まったパーソナルコンピューターの波は80年代以降、日本でも一気に広がっていきます。特に日本では、先のインベーダーブームの記憶も新しく、マイコンブームがゲームと結びついていきます。たくさんの人がコンピューターで何ができるのか学ぶためにプログラミングに挑戦し、中でも「試しにゲームを作ってみる」という人がたくさんいました。新しいことを学ぶなら、楽しいことをしたい、そんな気持ちで一般の人がゲームを自作して、出来の良いものは近所のマイコンショップに持ち込んで売り込むこともありました。ソフトバンク社は、そんなゲームの市場規模拡大の兆しを敏感に察知。ビジネスソフトだけでなく、ゲームソフトにも力を入れ開拓していったのです。
ソフトバンクはゲームを開発する会社ではありません。あくまでも流通販売がメインなので、ソフトを作っている会社とタッグを組む必要があります。例えばハドソンです。
北海道に本社を置くハドソンは、80年代当時すでにものすごい数のゲームソフトを出していました。おそらく当時のゲーム業界の中で、出していたソフトの数だけで言えば首位、ソフトバンク社が組む相手としては申し分なかったのでしょう。当時、ハドソンが出していた『ソフトメディア』という雑誌には、ソフトバンクとハドソンの提携を示すこんなアナウンスが出ています。
需要が高く利益も大きかったビジネスソフトの流通に加え、ハドソンとの提携など流通側でゲーム業界にも参入し、まさにソフトバンクは大成功していきました。次々に他のゲーム会社も取り込んで、まさにソフトの販売流通は全部ソフトバンクに、という時代に突入します。
80年代当時、マイコン用のソフトを買った人なら一度は「JPA CODE」というものを目にしたことがあるのではないでしょうか。当時のゲームソフトの多くに貼られているこのラベルは、ソフトバンクが登録していた商品の流通番号です。
このコードの番号付けには、きちんとした規則があって、番号を見ると、どの機種のどの発売元の何番目のゲームなのかがわかるようになっています。ソフトバンクが当時のソフトの流通をほぼ独占していたならば、このコードの参照元となるカタログが出てくれば、当時発売されたマイコン用のゲームソフトの全体像が俯瞰できる。ゲーム保存協会では、このカタログを探すプロジェクトが始動しました。
カタログの存在や所在を訪ね、元ソフトバンク社員の方にもお声がけをしていましたが、なかなか現物が見つからずほとんど諦めかけていた時です。ひょんなことから、このカタログが、当時は雑誌として書店で一般に販売されていた事実が判明しました。
ソフトについて楽しい記事が書かれているわけでもなく、電話帳のような分厚いカタログで、80年代当時で一冊2,800円もする代物です。買ったところでそこからソフトの通販ができるわけでもなく、ただソフトバンクが管理しているソフトの一覧が見れる台帳ですが、なぜか書店で販売されていたというのです。
てっきり業務用の内部資料だと思ってリサーチしていたメンバーからは「なぜ売ったんだ、ソフトバンク!」の声が上がりましたが、雑誌、つまり一般に流通した書籍であれば、もしや国会図書館に収蔵があるのでは。早速調べたところ、ビンゴです。
81年から84年までに出されていた8冊のカタログが、国会図書館のデータベースでヒットしました。1冊600ページ、合計8冊。国会図書館に通って、すべてのカタログをチェックしていきました。
このカタログには、ゲーム以外のビジネスソフトの情報が大量に入っています。ビジネスソフトの情報も、歴史的に重要な資料ではありますが、ひとまずゲーム保存協会ではゲームに関する部分だけを選び、2019年度アーカイブ事業の予算を使ってこれら資料にあるゲームの情報をすべてコピー、そこからデータベース化を進めました。
全8冊に入っているすべてのゲームの情報を、まずはそのまま抜き出してリスト化しました。
作業を進める中で気が付くのは、ソフトバンク側のカタログ作成に見え隠れする絶妙の手作り感です。よく見ると入力ミスも多く、どうやら当時の実際のゲーム資料について学ぶ際には、このカタログに記載された情報だけを鵜呑みにはできないことも判明しました。
全8冊から登録したゲームソフトの情報は合計で13,700件。
今後、この情報を精査分析して、ゲーム保存協会のデータベースも更新して行きます。この作業で、当時のゲーム雑誌に取り上げられなかったようなマイナーなゲームや人気のなかった作品も含めた、網羅的なゲームソフトの情報が得られます。ゲーム保存協会が収蔵していないソフトがどの程度あるのかを確認するうえで、非常に重要な情報となるでしょう。
ちなみに、雑誌『THE SOFT BANK』は81年から84年までの限られた期間の発行しか確認できませんでした。この値段でこの内容ですから、「雑誌」としては売れなかったのも致し方ないかと思いますが、単に国会図書館に収蔵がないだけの可能性もありますし、84年以降もソフトバンクによるソフト流通は続いていたので、雑誌がなくとも、どこかに業務用のカタログがあったはずです。
80年代当時のマイコンゲームの全容を知ることのできる貴重な資料となります。関連する情報や、実際の資料を持っている方がいらっしゃったら、ぜひご連絡いただければと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。