フランス姉妹団体「リュドテーク」の活動と連携

ゲーム保存協会の理事長ルドンはフランス出身で、その縁もありフランスのゲーム協会「リュドテーク」(正式名称:La Ludothèque française 【ラ・リュドテーク・フランセーズ】)と協力関係を結んでいます。
「リュドテーク」の活動と、当協会との連携についてご紹介します。

 

今や映画は人類の大切な芸術作品で、残すべき文化のひとつになりました。でも100年前、映画は堕落した娯楽の一種だと考える人もいて、作品の保存が必要と考える人は少なかったのをご存知ですか?
フランスでアンリ・ラングロワという人が1930年代に映画を残すべき芸術作品として資料整理やカタログ化を進めたてできたのが、シネマテークです。今や映画監督らが古い作品から学ぶことは一般的なことになりました。
フランスでは昔から、物を残し、それを共有し、次の作品を生む原動力とする「文化の継承」や「循環」を、当たり前のことと考え実践する社会風土があります。そして今、ゲームがこの継承の対象になっています。

フランスではゲームが、映画や漫画と並んで第10の芸術と呼ばれています。90年代にはゲームの納本制度もできて、フランス国立図書館(BnF)では研究者への資料提供や、定期的なコンフェランス、展覧会の開催がはじまっています。
ゲーム保存の先進国になりつつあるフランスですが、それでも、納本による収蔵が始まる前の古い作品については、国の取り組みが遅れています。
フランスにはフランス独自のフランス産ゲームの歴史がありました。手遅れになる前に何とかしてその歴史を残したいと考えるフランスの仲間たちが立ち上げたのが「ラ・リュドテーク・フランセーズ」です。

ルドン理事長と「リュドテーク」のメンバー

ルドン理事長と「リュドテーク」のメンバー

80年代、ゲームを作っていた国というとアメリカや日本が目立ちますが、欧州ではイギリス、フランス、ドイツがそこに続きます。当時の日本はアメリカのゲームへの注目度が高くヨーロッパの作品には無関心でしたが、ヨーロッパにはヨーロッパの独自のゲーム文化がありました。
ゲーム保存協会のことを紹介したドキュメンタリーを見て「フランスでも同じような活動をしたい」と連絡が来てから、私たちは日本とフランスで、同じようにゲーム資料の保存に取り組む姉妹団体として活動を続けています。

リュドテークの名称は、シネマテークへのオマージュで、Ludoはラテン語でゲームを示し、映画のようにゲームを作品として集め保存する場所という意味です。2017年に正式に団体として設立、現在、活動方針の意思決定に直接関わるメンバーが9人います。
リュドテークが大きくゲーム保存協会と異なる点は、リュドテークが物理的なコレクションを持たない点にあります。日本のゲーム保存協会では保存作業を進めるために、ゲームを物理的に一か所に集めるアーカイブ室がありますが、リュドテークにはそれがありません。というのも、フランスのゲームコレクターは保存活動に非常に積極的なため、進んで保存作業に協力してくれます。ゲームを一か所に集めなくても、データの保存とデジタルアーカイブが作れる環境です。

80年代を中心としたフランス産ゲームの総数は3,000本程度。日本と比べればかなり小規模で、コレクターのこうした参加があれば、そのすべてを保存することも不可能ではありません。
現在、ゲーム保存協会とリュドテークは手を組んで、技術面での協力はもちろん、グローバルなゲームカタログの作成に進んでいます。リュドテークが持っているアーカイブ先進国ならではのカタログ化のノウハウや、フランス国立図書館をはじめとした公的機関との関係など、これからの密な連携が期待されています。
ルーブル美術館を見るとわかりますが、これまでの歴史でフランスが他国に先駆けてアーカイブを進めたことから、様々な遺物が芸術としての地位を確立するケースが多々あります。ゲームに関しても、まずフランスが動くことで、他国にも保存の気運が高まればと期待しています。

フランス産のゲーム

アナザーワールド(Amiga 500版)1991年

アナザーワールド(Amiga 500版)1991年

時間の鳥を求めて(Amiga 500版)1989年

時間の鳥を求めて(Amiga 500版)1989年

ブラッド船長の箱舟(Atari ST版)1988年

ブラッド船長の箱舟(Atari ST版)1988年


ゲーム保存協会ニュースレター GPS News May 2020 vol.10 記事より

 

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21世紀のジャポニスム ――エロゲーも文化だ!(後編) ――
ゲーム保存協会の名物理事長、フランス人ジョゼフが語る本当のクール・ジャパン

敬遠される“下”文化

古いものを破棄するだけでなく、日本では特定の主題や傾向を持つ文化的活動が、そもそも文化としての受け入れを拒否されるケースがあります。政治的アピールの強い作品や残酷な表現など様々なケースがありますが、特にわかりやすいのが「エロ」=性要素のある作品群。

海外では芸術的表現として認められるものが日本では受け入れてもらえず、美術館など保存や研究の場から排除されてしまう例が散見されます。角々にあるコンビニにはあんなにエロ本が積んであるのに、なぜかそれがアートになると規制がかかるなんて、フランス人の目にはとても奇異にうつります。

最近話題になった春画展などはそのよい例です。春画は海外ではその独自の表現が高く評価され美術作品として鑑賞の対象になっています。しかしながら日本では、この100年前の性表現が芸術的表現として評価されるよりも性的刺激剤の一種、性的な「商品」としてタブー視されたままのようで、大規模な企画展もスポンサーが付かなかったり苦情を恐れて開催に踏み切れなかったり。紆余曲折あってようやくこの9月に都内で展覧会の開催が決まったそうですがビックリです。映画でも大島渚の「愛のコリーダ」など、芸術性を高く評価されているにも関わらず日本ではいまだに完全版の上映が出来ないままのものが沢山あります。

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パリのピナコテーク美術館で行った春画展(2014-2015年)


商品としてのエロ、芸術としてのエロ

新宿を歩けばそこかしこに風俗店の看板がかかり、子どもがよく通る街道のコンビニには半裸の女性を表紙に飾ったポルノ雑誌が陳列してあるのに、美術館では真剣に創作活動をする作家の作品が時に規制され、有名な写真家の写真にはモザイク補筆、映画研究家は特定の作品の正しい上映を見るためにヨーロッパまで来なければならないなんて、とても不思議です。

たとえばフランスでは、“商品としてのエロ”と“芸術としてのエロ”ははっきりと区別されており、商品としてのエロは人目につかない場所できっちり管理されますが、美術館など芸術表現を鑑賞する場では作者の意図や表現を尊重し、オリジナルの形のまま展示し自由に人々が批評や研究ができるようにします。また、元が商品として作られたものであっても、一旦芸術を語る場に持ち出されたら、それはもはや商品ではなく作品として正面から鑑賞され、芸術的・文化的な面から論じられる対象になります。

我々はこうした自由な表現と議論の場があることを当然のことだと思っていますし、もちろんセンセーショナルな作品が人々に激しく批判されることもありますが、そうした議論も含めて作品が生み出していく新たな「文化の場」があること自体を重要と考えています。

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フランス国会図書館の電子書籍で閲覧できる春画の一つ


失われる文化財

日本は社会的な「常識」や「秩序」の意識が高く、芸術はむしろそうした日常の意識を邪魔しない範囲内で活動するように制限されているのではないでしょうか。江戸時代の春画や80年代のエロティックな映画が今もまだタブー視される日本では、そうした作品を保存研究することにまでブレーキがかかることがあります。性的表現だけでなく、商品として開発されたもの、芸術として鑑賞する人が少ないもの、大多数の人が芸術とは認めないものなど、日本では展示や研究が難しいように感じます。ゲーム保存はその最たる例でしょう。

海外ではすでに文化としての保存研究がはじまっており、日本でも少しずつではありますが大学や国が動き出していますが、そもそもが「商品」として作られた背景から、商売と切り離し、純粋に文化として展示したり保存したり研究したりしてはいけない雰囲気がとても強いです。浮世絵だって、はじめは「商品」でした。いまや世界中の人が芸術作品として鑑賞するダ・ヴィンチの作品群だって「商品」として発注されて描かれたものでしたし、バッハが作曲したミサ曲は教会の依頼でミサ用に制作された「商品」です。

もしヨーロッパの人が「これは単なる商品でアートじゃない」といって破棄していたら、世界には一体何が残っていたでしょう?文化財は、文化財となってから遺したのでは遅いのです。日本は過去、多くのものを「これは芸術ではない」といって失ってきました。そろそろ、こうした流れを変えなければなりません。

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映画、団鬼六 黒薔薇夫人(1978年)日活ロマンポルノ


たとえば、エロゲー。

みなさんは今年、文化庁が主導となってメディア芸術データベースというコンシューマーゲームのデータベースが発表されたのをご存知でしょうか?これは漫画などとともにゲームも文化として認めましょう、ということで国が作ったデータベースなのですが、このデータベースにはファミコンとその他プラットフォームの多くのエロゲーに関する情報が排除されているのをご存知ですか?

私は、これまで芸術作品として受け入れられていなかったゲームを国が主導を取って芸術として扱う姿勢はすばらしいと思いますが、春画同様、性的表現を含む作品は研究保存のリストからはずすというのはおかしいと思います。日本のエロゲーというジャンルは、世界には例がない本当に特異な文化現象で、大変興味深いものです。エロゲーは海外のポルノとは異なる創意工夫の数々、ある種の日本らしさが出た非常に面白いジャンルだと思います。特に80年代のエロゲーはプラットフォームの問題があり、リアルタイムに海外に紹介はされていませんでした。独自性や創造性から考えて、今後これらエロゲーが再評価され文化的価値があるとしてヨーロッパで展覧会になってもおかしくないと思っています。

クール・ジャパンといって漫画やアニメなどの「クール」な日本の文化を海外に紹介したいのなら、ゲーム分野ではぜひ80年代エロゲーを、国を挙げて海外に紹介してほしい。しかし実際はリストから消去され、日本側が文化としてエロゲーを取り扱うことに“恥ずかしさ”を感じている様子なのです。

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ゲーム、「オランダ妻は電気ウナギの夢を見るか?」の表紙(1984年)


未来のために今やりましょう

たびたび、ゲーム保存協会に「まさかエロゲーの保存なんてやらないでしょう?」といった質問をいただきますが、私たちはどんな資料でも今後文化的価値が再評価される可能性があると思っていますし、多くの機関から虐げられている資料だからこそ、エロゲーの保存にも積極的です。

私はいつも言っていますが、80年代の日本のゲームは劣化消滅すれば世界の歴史から完全に消えてしまいます。80年代の国産PCはほぼ日本にしか存在せず、当時のFDは次々にカビが生えデータが消滅しています。過去それが商品として作られていたとしても、あるいはそれがエロティックな要素を含んでいたとしても、

日本にしかない希少かつ脆弱な文化資料を、日本は優先的に保存研究するべきではないでしょうか。世界を魅了する素晴らしい日本の文化をこれからもどんどん増やしていくためにも、ぜひ、エロであろうが商品であろうが文化は文化としてクールに研究保存できる本当のクール・ジャパンを作ってほしい。私も、誰よりも日本を愛する一人の市民として、ゲーム保存というフィールドで、文化大国としての日本作りに協力して行きたいと思っています。

ゲーム保存協会 ルドン

 

※パッケージ画像などの著作権は著作者に帰属します。

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21世紀のジャポニスム ――エロゲーも文化だ!(前編) ――
ゲーム保存協会の名物理事長、フランス人ジョゼフが語る本当のクール・ジャパン

ジパング伝説

ヨーロッパの人々は、古くから遥かなる東洋への強い憧れと尊敬の念を抱いてきました。ヴァカンスで日本に遊びに行くというとフランス人の友人たちは羨ましがって話を聞きたがりますし、日本人の繊細さや奥ゆかしさは時にガサツなヨーロッパ人の目にはとても新鮮で美しいものにうつります。

16世紀初頭にマルコ・ポーロが伝えた「黄金の国ジパング」の噂は、長いこと西洋人の間で語り継がれていましたが、やがて20世紀初頭のパリ万博で実際に日本の風物が紹介されるにいたって、爆発的人気となりヨーロッパ各国に大日本ブームを巻き起こします。マネやゴッホといった名だたる絵画の巨匠が目を凝らした極彩色の浮世絵、ドビュッシーらが耳を凝らした異国の旋法。19世紀末から20世紀にかけてヨーロッパの文化人らを熱狂させた浮世絵や能、歌舞伎といった日本の伝統文化伝統芸能は、21世紀の今でも多くの人々を刺激し続けており、ジャポニスムは今もまだ健在です。

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フィンセント・ファン・ゴッホ、「Amandiers en Fleurs」(1890年)


 

新しいジャポニスム「グレンダイザー」?!

さて、屏風に三味線といった日本の風物は大変に美しく魅力的ですが、日に何便もの飛行機が行き交うようになった20世紀後半、フランスにはそれまで伝えられることのなかった新たな日本文化がやってきます。そう、日本のアニメです。

僕がまだ子どもの頃のお話し、1978年にフランスで「UFOロボ  グレンダイザー」劇場版の映画上映がありました。何の因果でしょうか、日本では今ひとつヒットしなかったこのマジンガーZのシリーズ3作目がフランスでは異常にヒットしました。映画版だけでなくTVシリーズの放映もすぐに決定。フランス語吹き替え版グレンダイザーは全国のお茶の間に届けられるはこびに。当時幼稚園児だった僕も、グレンダイザーの技を大声で連呼し学校の先生に怒られるほどハマってしまいました。実際、グレンダイザーはフランス国内で今でもカルトな人気があり、劇場版主題歌はフランス語に吹き返られて135万枚の大ヒット、JASRACが海外でもっとも稼いだタイトルの一つとなりました。ちなみにフランスではグレンダイザーはGoldorakというタイトルで知られています。

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UFO ロボ グレンダイザー、フランスの劇場版のポスター


 

昭和のヒーロー次々にヨーロッパ上陸

グレンダイザーのヒットは、それだけで終わりませんでした。グレンダイザーがウケるのなら、他もウケるに違いない。次々と日本のアニメシリーズの吹き替えが作られフランスに渡ります。「キャンディ・キャンディ」に「キャプテンハーロック」など様々なシリーズが放映されました。特にハーロック人気は高く、原作の松本零士はフランスでは有名人、あのダフトパンクもインターステラ5555でコラボレーションをしています。また「太陽の子エステバン」や「宇宙伝説ユリシーズ31」など、フランスが日本にわざわざ自国での放映用に制作を依頼したタイトルも存在します。

当時日本のちびっ子を沸かせた昭和のヒーロー・ヒロイン海外進出の波はアニメだけにとどまらず、ついには「海外で受け入れられるの?!」と思うような戦隊モノまでやってきて、これも何故だかやっぱりヒットします。バイオマンは今でも会話のネタになりますし、宇宙刑事ギャバンも大人気、「宇宙からのメッセージ・銀河大戦」は「San Ku Kaï」というタイトルでもはやフランスの国民的存在です。

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太陽の子エステバン、フランス版のレコードのジャケット


 

ヒットの秘訣はガイジン目線!

マネやゴッホの20世紀ジャポニスムもフランス人が中心となってヨーロッパ各国に広がって行きましたが、いまや懐かし昭和アニメや戦隊ものといった新しいタイプの日本ブームもヨーロッパ各国に広がっていきます。一つ強調しておきたいのは、ヨーロッパへの日本の“文化輸出”の多くは、西洋人側の積極的な輸入が原動力になっていることが多い点です。日本人が「海外でヒットするだろう」といって売ってくるものではなく、所謂“ガイジン”である私たちが勝手に面白いと思って日本から引っ張ってくるというケース。

日本は今、クール・ジャパンという標語で自国文化の海外輸出に力を入れていますが、そもそも海外で何がヒットするのか一番知っているのは消費の主体“ガイジン”の側ではないでしょうか。日本人が考える「面白い日本」と海外から見た「面白い日本」は必ずしもイコールではありません。70年代以降の日本アニメ海外ヒットのラインナップを見ても、日本で人気がありヒットするだろうと見込まれた作品がヨーロッパでまったくヒットせず(ルパン三世や手塚治虫はフランスでは人気がありません)、逆に日本でまったくヒットしなかったものが海外で何故だか大人気となる例が沢山あります。

100年前のジャポニスムでも、例えば浮世絵は日本側では輸出品としての価値を当初は感じていなかったにも関わらず、ヨーロッパでは大ブームになりました。歴史は繰り返すのです。

 

 

「遺す」文化と「片付ける」文化

浮世絵からアニメまで、日本ではあまり高い価値がなかったものがヨーロッパに入ってから「日本らしさを表現するすばらしい文化」として西洋で珍重され保存されるパターンは何世紀にもわたって繰り返されています。日本で価値がないといわれ破棄されているものでも、ヨーロッパの人々は大切に保存し、アートとして次世代に遺すということがよくあります。

昭和のアニメシリーズは現在、保管場所やフィルム代節約といった様々な理由から日本のテレビ局には原版が存在しないものが沢山あり、DVD化や再放映をするためにヨーロッパから逆輸入することが度々あるそうです。使い終わったものを「片付ける」文化と、あるものは全て「遺す」ことに義務を感じる文化、これは日本と西洋の生き方の違いのような気がします。

ヨーロッパの人たちはどんなものであっても人が作り享受するものを作品として尊重し、遺すべきだと考えます。誰か一人でもそれをアートとして認めたなら、それはもう立派なアートで大切に保管すべき作品になります。たとえ全員が同じように価値を認めてなかったとしても後世のためにとっておくこと自体が大事なことです。古いフィルム、古い絵画、古い建築物、ヨーロッパには何世紀もかけて人々が残してきた文化的遺物が蓄積しており、そうした文化財は現在では観光や文化力として国のパワーになっています。

日本では古くなったものは新しいものに置き換え、多くの人が価値を認め文化として捉えない限り作品としてオリジナルを遺しておこうという動きが起こりません。価値を認めてもらえなかったものや、文化表現として受け入れられなかったものは容赦なく廃棄されることがとても多いように思います。

(後編へ続く)

ゲーム保存協会 ルドン