Ninja

4月に開催される「RETRO GAME À LA CARTE」に参加します

2016年4月16日(土)~17日(日)、静岡県沼津市で開催されるレトロゲームのイベント「RETRO GAME À LA CARTE」(レトロゲームアラカルト)に参加いたします。

インベーダーゲームの生みの親として有名な西角 友宏さん、『それは「ポン」から始まった-アーケードTVゲームの成り立ち』の著者である赤木 真澄さん、アーケード界の人間国保の高井商会の高井 一美さんといった豪華ゲストが集まり、アーケードゲーム黎明期の熱気を伝えるイベントで、私たちゲーム保存協会も講演をします。
講演内容は理事メンバーの福田による、アーケードゲームのプレイ記録についての講演、そして理事長ジョゼフによる、本邦初デコカセ復活プロジェクトと全タイトル紹介です。

decolist

そしてアーケードゲームのプレイ記録の講演は、現在はプレイしている画面のキャプチャーやビデオ録画が一般的ですが、この方法ではプレイヤーがどんなコマンド入力をどんなタイミングで行っているのか完全な記録はできませんし、同じプレイを実機で同じように再現することは不可能で、あくまでも記録の映像が残るだけです。例えば大昔のチェスの名勝負は全手が記録され現在でも同じゲームを再現することができますが、ゲームも、どのような手を打っているかが正確なタイミングと共に記録されるべきだと思いませんか?福田はその完全なプレイ記録を取るための全く新しいシステムを作っています。今回の講演ではその内容をわかりやすくご説明していく予定です。

デコカセ復刻プロジェクトは、ゲーム保存協会発足以来の重要なプロジェクトの一つです。そのマシンの特殊性、劣化と部品生産中止による復元の難しさから、これまで完全な復元や保存ができなかった幻のアーケードゲームの一つデコカセを、私たちは完全な形で修復し、専門的なレベルでデータを保存する技術を開発しました。現在、この技術のおかげで、たとえ劣化による故障や不備が出ても大部分のデコカセを修理し復元することができ、ソフトのリマスタリング作業ができます。今回の講演では全ソフトの紹介、そして小カセ、さらに幻の大カセの実機デモンストレーションを行います。

実際に動く大カセを目の前で見ることのできる非常に貴重な体験となるはずです。そして30年以上前に姿を消した幻の「戦国忍者隊」も!

さらに、フランスから日本のビデオゲーム史の専門家フロラン・ゴルジュを招いた講演を予定しているそうです。ゴルジュ氏の著書L’Histoire de Nintendo(任天堂の歴史)は全世界で翻訳され、ビデオゲーム史研究の基本図書となっています。レトロゲーム研究の最先端を知る素晴らしい機会になると思いますので、皆様ぜひご来場ください。

alacarte

参加無料
会場: プラサヴェルデ
住所: 〒410-0801 静岡県沼津市大手町1-1-4
詳細はこちら: http://retrogamealacarte.jp/
同イベントと同時に「はるこん2016」(http://www.hal-con.net/ja)も同会場で開催されています。

沼津周辺には、温泉や御殿場アウトレットもあり、週末のプチ旅行としてぜひお越しいただけたらと思います。

PC Engine

PCエンジンにまつわる当事者の想いを保存する

ゲームのすべてを残す

皆さんはゲーム保存というと何をイメージしますか?

天井まで積まれた膨大なゲームのコレクションをイメージする方は多いと思いますし、以前は私もその一人でした。

もしもゲーム保存がこれぞというゲームをコレクションすることであるなら、そのゲームはいったいどのような基準で選ばれるべきなのでしょうか?

ゲーム保存協会の理事長であるジョゼフさんと知り合った当初、「後世に残すべきゲームとそうでないゲームは誰がどのように区別するのか?」と質問したのですが、彼の答えは私の目を大きく見開かせるものでした。

「すべてのゲームを残します。今の時代に価値が無いと思われたゲームが後世に価値を見出されるかもしれないから。同じ理由で、ゲームだけでなく、パッケージやマニュアル、当時遊んだ人のテクニックや記憶もすべてがゲーム保存の対象なのです。」

すべてのゲームを残す・・・ゲームのすべてを残す・・・。

途方も無いことのように思えました。

しかし、だからこそ一人の力で完遂することはできず大勢の力が必要なのだと。

特別なコレクションやスキルが無い私にも何かできることがあるのではないかと思い、私はNPOゲーム保存協会に加わったのです。

 

会社の大先輩がPCエンジンを企画していた!

ところで、私には長年温めていたひそかな願いがありました。

それはかつてNECホームエレクトロニクスでPCエンジンの企画に携わった会社の大先輩に当時のお話を伺うこと。

その方がかつてPCエンジンと関わりがあると知ったのは私が入社して間もない頃でした。しかし私にはインタビューをまとめたり、ライターとして文章を発表した経験が無かったこともあり何もせず20年近い月日が流れていたのです。

ジョゼフさんの答えと、私の長年の願いが結びつきました。

当時のお話を伺い記録することもまた、ゲーム保存活動だったのです。

先日その大先輩が引退となり盛大な送別会が催されたその席で私はついに、PCエンジンについてお話をお伺いしたいと申し出て快く承諾を頂くことができたのでした。

インタビューで特にお伺いしたいと考えたのは、NEC側から見たPCエンジンの企画についてです。私の知る限り、世に出ている記事はどちらかと言えばハドソンによる技術寄りの話が多いと感じていましたので、今回はその穴を埋めたいと考えました。

大先輩は実名を出すことは控えて欲しいとのことでしたので、この記事ではK氏と表現させてもらいます。

午後から雨模様という2015年の肌寒い晩秋の日、渋谷にてお会いしました。

以下、インタビューの結果を記します。


 

■パソコン、ゲームとの関わり

沼: パソコンやゲームには学生時代から興味があったのでしょうか?

K氏: 当時はNECのアルバイトでデモソフトのプログラムを書いたりプログラマー向けのテクニカルな解説書を執筆したりしていたから、大学卒業後は、その流れでNECに入社、パソコン事業担当部門に配属されたんだ。

高校時代からコンピュータに興味を持ち、日本だけでなく海外のパソコン雑誌も読み漁り、大学に入ってからは、アマチュア無線とコンピュータを扱う研究会に所属。入学して間もなく、NECからPC-8001が発売されるとすぐに買ってしまったという。

沼: ちょうどパソコンが立ち上がる時期ですね。

K氏: でもパソコン黎明期を立ち上げたさらに上の先輩方の世代から3~4年・・・一世代遅れたんだよね。

沼: ゲームには興味ありましたか?アーケードなどはいかがですか?

K氏: インベーダーゲームなど、よくゲームセンターに通っていたよ。お金がかかってしかたがないから、PC-8001を買ってからはブロック崩しや麻雀ゲームなど、自分でゲームを作って楽しんでいたよ。

 

■入社 ~ PCエンジンの企画前夜

沼: NECに入社してからはどのような業務をされていましたか?

K氏: 入社は旧パソコン事業部。装置側を作りたくて。3rdパーティーと相談して、次はどんなアーキテクチャにしようか、音が弱いから強化しようとか、そういう話をしていたよ。

沼: スプライトの強化はどのようにお考えでしたか?

K氏: コストとLSIの関係でスプライトは積まなかったけど、16ビットパソコンになったPC-88VAのときはガリガリのスプライトアーキテクチャだったね。

沼: ファミコンは遊びましたか?

K氏: 発売されて会社ですぐに買って試してみたね。コンピュータって名前がついていたからね(笑)。もちろん自分でも買ったよ。

1年の半年は商品企画、残りの半年はシステム周りのプログラムを書くといった業務サイクルだったそうだ。転機は入社3年目の1985年。個人用パソコン部門がNECホームエレクトロニクスにまとまりK氏は出向。パーソナルインテリジェンス事業部の配属となる。

NECグループ内で個人向け製品はNECホームエレクトロニクスの分担だから家庭用ゲーム機をやるには動きやすい状況になった、というK氏。1985年はスーパーマリオもでてゲーム市場が温まってきた頃でもあったという。

K氏: これはまだあまり記事になっていない話だと思うけれど、この年、旧NEC本社ビルの一室を借りてゲーム機事業参入のタスクフォースが結成されたんだ。セールスの人と自分と、あと二人。4人のメンバーで3ヶ月ほどゲーム機事業参入の検討をしていた。

ファミコンは何で成功したのか?何が足りないのか?ビジネスモデル含めてリサーチした。

午前中はスーパーマリオを遊んで(笑)、午後はソフト会社をまわってヒアリングしてシナリオを考えた。ファミコンを超えるゲーム機はどうあるべきか、NECとして発揮できるコアコンピタンス(強み)は何かと。

結論は、まずビジネスモデルはパソコンの延長ではダメだということ。ソフト会社を囲い込んでロイヤリティビジネスにする必要がある。

あとはファミコンと比べて一目で違いがわかる表現力が大事で具体的には画像とサウンド。CD-ROMはNECホームエレクトロニクスが立ち上げていたからこれを使おうと。

沼: 1985年の時点でCD-ROMが挙げられていて驚きました。ゲーム機事業参入はその後すぐに動き出したのでしょうか?

K氏: 我々は装置屋さんでゲーム機を作るには当時で言うプロセッサー屋さんとソフトウェア屋さんとの協業が必要だから、タスクフォース解散後は上層部が1年ほどパートナーを探していたよ。

たまたまハドソンも同じようなことをやっていて、ハドソン、セイコーエプソンと組むことになった。パートナーがみつかったからやろう、ということでまた検討に加わることになった。

ハドソンはファミコンのソフトを作っていたからファミコンを知り尽くしていた。
そこに我々のCD-ROMを加えようということ。

CoreGrafx 2

■PCエンジンの企画と開発

沼: そもそもですが、PCエンジンという名前の由来をお聞きしてよろしいでしょうか?エンジンはコア構想のエンジンという意味だと以前何かの記事で読みましたが、PCはやはりNECらしくパソコンのPCなのでしょうか?

K氏: PCはパーソナルコンピューティングの意味で、ゲームだけでなくリビングで幅広く活用してもらいたいという意図があった。

沼: PCエンジンは特にアーケードの移植に強いマシンというイメージがありました。この点は意識されていましたか?

K氏: アーケードというよりもNECがこだわったのはCD-ROM。ファミコンと一目で明らかに違うレベルの表現力を、コストの枠内でどう実現するか。

沼: セガのメガドライブが当時のアーケードアーキテクチャをベースにしていたのと比べるとPCエンジンはユニークでしたね。

K氏: アーケードは高価なメモリをじゃぶじゃぶ使うけれど、家庭用でそれをやったら価格が跳ね上がってしまう。スプライトなどのアーキテクチャはハドソン側が決めたけれど、彼らなりの知見で当時ベストな設計をしたと思う。

沼: 当時、定価24,800円はファミコンよりも高めの値段に思いました。

K氏: 24,800円ではハードの儲けは無かったね。ソフトウェアのロイヤリティ収入があったからなんとか価格を下げられたけど、もしハード単体で開発費も回収しようと思ったら、おそらく5万円とか7万円になってしまっただろう。

CoreGrafx 1

■PCエンジン発売後 : ハードウェア

沼: PCエンジンといえば、いろいろな本体のバリエーションが特徴的でした。例えばスーパーグラフィックスなどはメガドライブやスーパーファミコンを意識されたのですか?

K氏: バリエーションを用意したのは、ただ単にグレードを松竹梅で用意しようというNECらしい発想の結果であって、他社のゲーム機のSPECはあまり意識していなかったな。

沼: PCエンジンを内蔵したシャープのX1ツインなどは、なぜNECのパソコンで内蔵しないんだろうと思いました。

K氏: パソコンに内蔵するとマザーボードを複数開発する必要があり手間がかかるから、そのかわりPCエンジンを内蔵したパソコン用モニタを開発してこれ1台でカバーしようと考えた。X1ツインとは住み分けできていたんじゃないかな。

沼: LDロムロムも変り種として印象深いです。パイオニアの製品ですけどNECホームエレクトロニクスからも出ていたそうで当時はどのようなスタンスでしたか?

K氏: LDロムロムの発売は自分が離れた後だったけれど、当時はやれることは何でもやろう、ポストファミコンだと、いけいけドンドンだったよ。

沼: PCエンジンの事業で、特に盛り上がった印象に残る時期はありますか?

K氏: うーん。特にいつが盛り上がったというより、じわじわとずっと右肩上がりが続いていた印象かな。PCエンジンの雑誌がいくつも創刊されて、テレビでも露出が増えて・・・と。

沼: 熱いですね。

K氏: 業務の2割だけどね(笑) 本業はパソコン。

沼: 2割でそれだけ濃密なのはうらやましいです(笑)

ゲーム機の企画は業務の2~3割で本業はパソコンと言うK氏は、当時PC-88VAを企画し同機のBASICインタープリタを書いていた。PC-88VAは知る人ぞ知るスプライトを搭載した16bit機であり、まさにゲームのためのパソコンである。

沼: 自社でゲーム機をやってよかったと思いますか?

K氏: もともとパソコンをゲームマシンとして仕立て上げてきた歴史があるからね。PC-8801mkIISRのときはガリガリにゲームを意識したよ。

沼: PCエンジンもその系譜なのですね。

 

■PCエンジン発売後 : ソフトウェア

当然のことだがソフトウェアは核心的要素である。ハドソンがついていたとはいえ、ソフトウェアを社外に丸投げはできないとNECグループでNECアベニューを設立するなどの手を打った。そしてキーとなるメーカーとしてコナミの名前も挙がった。

沼: 私は当時メガドライブ派だったのですが、コナミがグラディウスなどのキラーソフトをPCエンジンにばかり投入したのが悔しくてたまりませんでした(笑)

K氏: コナミ参入はハドソンルートだった。ハドソンとコナミは当時から関係が深かったから。当時はサードパーティにランクがあって、コナミはサードパーティの中では契約条件などが特に優遇されていたね。

沼: PCエンジンではスペースハリアーなどセガの看板タイトルが発売されました。

K氏: 自社ブランドで出すリスクをとれないとか、オトナの事情で出せないとかの場合は、アベニューが受け口になっていたね。

 

■PCエンジンの収束

市場の一角を占めるに至ったPCエンジンだが、時代は次世代機へと移ろうとしていた。K氏は1991年、PCエンジンの完成形だというCD-ROM内蔵のPCエンジンDuoを担当し、その後のシナリオをまとめてからNEC本社に復帰した。

一方のパソコンもPC-88VA以降の16bitはNEC本社のPC-9801に集約する方針が固まったため、PC-98DOを企画して社内の88のリソースを統合する道筋をつけた。

沼: コア構想には様々な可能性があったと思います。何かやり残したと思うことはありますか?

K氏: PCエンジンは家庭向け端末としての広がりの可能性を示すことができたと思うが、当時は他に通信もやりたかった。例えるなら任天堂のWiiのようなリビングルームで通信も融合したマシンかな。

ちょうどパソコン通信からインターネットに切り替わる時期にあたってしまいタイミングが悪かった。テレビに向かってネットをする、コミュニケーションするというにはまだ少し早かったね。

沼: たらればの話ですが、PCエンジンが海外でもっと成功していればビジネス判断として次世代機を続けられましたか?

K氏: 次世代機ができなかったのは単純に、ゲームソフト会社をひきつける、ゲーム機に適した3Dアーキテクチャを開発環境も含めて提案できなかったからに尽きる。パソコン用の3Dをそのままもってきてもダメ。

そういうパートナーと組む必要があったが見出せなかった。アライアンスはただ組めばよいというものではなく、PCエンジンのときのCD-ROMに相当する武器がこのときは無かった。

 

■PCエンジンとは : 総括

沼: PCエンジンを総括するなら、どのように言うことができますか?

K氏: うーん。どういう観点で言うか難しいけれど。少なくとも、あれがあったからNECホームエレクトロニクスが5年間は延命できたと思う。

当時、家電事業がどんどん台湾や東南アジアに移って、何か新しい、日本でしかできない事業を興す必要があった。ゲーム機という選択肢は当時としては正解だったんじゃないかな。

沼: まさに企画の本懐ですね。

本日はお忙しいなか、貴重なお話をありがとうございました。


 

まとめ

貴重なお話を伺い、こうしてまとめを書きながら感謝の念を改めて思います。

K氏にはこの場を借りて改めて深く御礼申し上げます。

K氏が担当されたPC88シリーズの話題のあまりの興味深さに思わず話がそれつつも、PCエンジンの熱い記憶をお伺いすることができました。インタビューの記事をまとめることは初めての経験でしたが、取り組んでみて本当に良かったと思います。

 

これからも多くの皆様により様々な方法でゲーム保存が進むことを願っています。

記事をご覧いただきありがとうございました。

 

ゲーム保存協会 沼

写真 ブリエール・エディ

ゲーム保存協会 Game Preservation Society

資料保存のための特殊ケース販売

あけましておめでとうございます。

旧年中は皆様からのあたたかいご支援ご助力を賜り、誠にありがとうございました。

おかげさまでゲーム保存協会は今年で5周年を迎えます。

 

劣化が進むゲーム資料の保存は今、非常に厳しい状況に直面しています。5周年を前に私たちメンバー一同も、「ゲーム文化資料の保存」という基本に立ちかえって、地道に、ひとつずつ、目の前のできることから取り組んで参りたいと存じます。

本年も変わらぬお引き立ての程よろしくお願い申し上げます。 皆様のご健勝とご発展をお祈り申し上げます。

平成28年 1月吉日

理事長 ルドン・ジョゼフ


NPO法人ゲーム保存協会では、ゲームに関する貴重な資料を正しく保管し後世に残すために様々な活動を続けています。ただゲームを集めるのではなく、それぞれの資料を適切な形で保管して劣化から守り、必要なものは順次修復作業やマイグレーションを行うのですが、こうした作業に欠かせないのが各資料を保管庫に収納する際の特殊容器です。

以前の記事にも紹介した通り、ゲーム資料は複数の異なる素材から構成されており、それらをまとめて元の状態のまま放置していると劣化が進んでしまいます。なので、資料を劣化から守るために、まずは資料を素材ごとに分けねばなりません。今回特に注目したいのはメディアです。

例えばフロッピーディスクが入っているゲームソフトの場合、ソフトを包むパッケージの箱はプラスチックや紙でできていることが多く、マニュアルなども紙です。紙は場合によって湿気を吸ってしまったりして、フロッピーディスクの大敵カビをおびき寄せることも。ゲーム保存協会では、メディアが入っている資料についてはまず劣化に弱い各種メディアを抜き取って別の専用保管箱で管理することを推奨しています。

フロッピーディスクやカセットテープといったメディアはすでに複数のパーツから組み立てられたものですが、非常にデリケートで、カビや錆といった外的要因だけでなく、素材そのものが化学的に劣化して変化しうるものです。こうしたあらゆる種類の劣化を最大限に遅らせるためには、まず湿度と温度の管理が重要で、ゲーム保存協会の保管室は365日一定の室温と湿度(20度以下湿度60%以下)を保つよう管理されています。一般家庭での管理の場合、特に日本では湿度に気を付けたいところです。

このように管理した状態でも、資料そのもの、そして例えば部屋の中にある収納用の棚、果ては壁や床などあらゆる場所から微量であっても劣化を促進するガスなどが発生しています。そうしたガスから資料を守るのが資料保存に特化した特殊な専用容器です。

本部のゲームアーカイブ

ゲーム保存協会は資料のマイグレーションは技術も知識も豊富ですが、保管に関しては、長年図書館や博物館で保管庫や収蔵用ボックスの作成を行っている保管のプロ、株式会社日本ファイリングさん株式会社資料保存器材さんに保管用ボックスの製作をお願いしています。

磁気メディアの保管に特化した専用ボックスは、中性紙という紙を使ったディスクケースと、劣化を促進するガスを出さず密閉できるボックスの組み合わせでできています。通常の紙は酸性で、これが資料の劣化を促進してしまうため、フロッピーディスクを長期保管するのであれば、まず発売当初につかわれていた紙のエンベロップから取り出し、保管用の中性紙で作られたエンベロップに移し替えます。中性紙は劣化促進のガスを出さず、丈夫で軽く、さらに湿気の管理もしてくれる優れものです。

現在の保存用箱シリーズ

ゲーム保存協会では日本ファイリングさんにお願いし、約3年前に5.25インチのフロッピーディスク120枚がひと箱に収まるタイプの中性紙エンベロップ付き保管ボックスを作り、現在この保管ボックスたちは当協会保管室で大活躍中です。これに続き、今はテープ用の箱も作っており、こちらはひと箱に20個のテープが入ります。今後、3.5インチフロッピーディスクがひと箱70枚入るエンベロップ付き保管ボックスを製作する予定になっています。

テープ資料に関しては保管ボックスの他に、今回特殊なケースをアメリカから注文しました。特殊素材で劣化からテープを守るもので、軽くコンパクト、劣化促進のガスを出さず、テープがケース内で回らないよう固定できるほか、ケース自体の素材にやや弾力があるのでケースの破損も避けることができます。

カセットテープ用保存箱

今回、このテープ用ケース類を大量注文しており、ゲーム保存協会内にまだ幾分か余りがあります。ひと箱に20個のテープが収まる専用保管ボックスと、20個分の専門テープケースがついて、4800円(税込+送料別)です。もし購入希望の方がいらっしゃいましたら、下記までご連絡ください。

連絡先 info@gamepres.org