ウルトラ四人麻雀
ツクモ電機より1982年12月に発売
秋葉原発麻雀ゲーム
PC8801のゲームで一番最初にヒットしたゲームとして思いつくものは、ツクモ電機の「ウルトラ四人麻雀」だろう。このゲームが発売された1982年は、まだPC-8001の全盛時代で、ゲームもアーケードゲームを模倣したようなゲームが主流であった。こんな中、麻雀やトランプ、花札などのテーブルゲーム類も、1人でもじっくり楽しめるという理由からか、初期には人気があった。特に当時、数十万円もしたパソコンを購入していた層は、サラリーマンがメインであったので、麻雀ゲームは数多く開発され、そして売れた分野でもあった。麻雀は、実際にプレーするには、面子を集める必要があるし、初心者には点数計算も大変である。パソコンゲームなら、面子も心配ないし、初心者は打ち方を研究できる。これはアーケードゲームでも同様で、同時期に「ジャンピュータ」というアーケードゲームが会社帰りのサラリーマン相手に大ヒットしたという事実もある。
「ウルトラ四人麻雀」が売れた理由は、麻雀牌の美しさとスピードにあると思う。88のグラフィックをフルに使った美しい牌は、当時発売されていた他の麻雀ゲームよりも大きく、繊細であった。また、コンピュータ3人と同時にプレーでき、その思考時間が短くてスピードが速いというのもウリだった。これは作者の制作した思考ルーチンのすばらしさによるものだろう。
作者のプロフィール
このゲームの作者は、田口昭次氏。昭和31年の7月生まれである。パソコンとの出会いは24才のときで、彼は下宿している家の子供の家庭教師をしていた。その子供がPC-8001を買ってもらったのを横取り(?)したのがはじめてだという。彼はゲームで遊ぶよりもプログラムを作ることにはまっていった。はじめはBASICでプログラムを作っていたが、「なぜゲームセンターのゲームはあんなに速く動くのだろう」と思っていた。その後一ヶ月して機械語を知り、8080の解説書を購入。いろいろいじってみて「ヘッドオン」のようなゲームをつくってみた。そのあと、その家から引越ししたため、パソコンもなくなり、BASIC1ヶ月、機械語1ヶ月いじって終わってしまった。
彼は、一年後、グラフィックの美しいPC-8801を購入する。PC-8001はグラフィックが貧弱だったため、その間は興味がなかったのだが、彼はPC-8801のその美しいグラフィックに魅了されたらしい。ウルトラ四人麻雀の前に、原型となるものをPC-8001で先に制作し、それがマイコン誌に掲載されて評判も上々であった。ゲームを作ってお金が儲かるなら・・ということでウルトラ四人麻雀を作り始めたようだ。麻雀を題材としたのは、ただ麻雀がパソコンでできたらおもしろいのではないかと感じたためだそうだ。その当時市場に発売されていた麻雀ゲームは、BASICでスピードも遅く、コンピュータがイカサマをしたりとひどいものが多かった。
ウルトラ四人麻雀の制作期間は約一週間だという。これは原型となるプログラムがすでにあったためである。田口氏自身、それぼと麻雀好きというわけでもなく、年に一回するかどうか、というくらいのものであった。制作時には、麻雀の本を買ってきて勉強したりもしたらしい。ウルトラ四人麻雀を完成させ、販売するときに一番条件のよかったツクモ電機から発売したという。
このあと・・
ウルトラ四人麻雀は爆発的な売れ行きをみせ、5万本以上の出荷がされたという。このあと田口氏は、上京して千代田区半蔵門近くのマンションの一室にソフトハウス「シャノアール」を設立する。実は田口氏は名古屋大学医学部の学生だったのだが、医者に興味がなくなり、在籍したまま会社を設立してしまったのである。会社設立の理由は税金対策ということもあったらしいが・・。このあと、社員も増え、「プロフェッショナル麻雀」という麻雀ゲームの金字塔とでもいうべきゲームを制作する。さらに1986年にはファミコン用ソフトで12人の打ち手が用意された本格的4人麻雀「プロフェッショナル麻雀 悟空」を開発(後に88に移植)。麻雀ゲームの思考ルーチンは「シャノアール」が提供しているソフトというものも多く、下宿先でいじっていたPC-8001が、ひょんなことからここまで発展したのかと思うと、非常におもしろい。(写真は田口氏)
テクノポリス84年7月号より一部引用
田口氏の写真:テクノポリス84年7月号P.97より引用
「ウルトラ四人麻雀」に関連するすべての画面写真、パッケージ写真の著作権はツクモ電機に帰属します。