ドアドア
エニックスより1983年2月に発売
衝撃のデビュー
「パソコンのゲームなんて所詮ゲームセンターの出来損ない、100円玉を消費しないだけのゲームマシンさ…」 PC8001がホビーパソコンとして主流だった1982年以前は、こんな言われ方をよくされたものだった。アーケードゲームの進歩は日進月歩、ハード(基板)とともに進化するもの。一方、パソコンはハードの仕様は購入後はそのまま変わらない。いくらグラフィックを美しくしようとしても、パソコンを改造でもしない限り変わることはない。この時代のパソコンユーザーは、そんなことは承知しながらも、アーケードゲームと似つかないドットの粗いゲームを、妥協しながら遊んでいた。
こんな状況下、「ドアドア」は登場した。1983年2月、エニックスの第1回ホビープログラムコンテストで優秀賞を受賞したこのゲームは、見るものを驚かせた。アーケードと遜色ないグラフィックの質、チュン君という愛らしいキャラクター、コミカルな音楽、それまでのアーケードゲームにはなかったオリジナル性。当時秋葉原の電気街に行くと、どこかで必ず「ドアドア」をデモっていた。道行く人々はその画面に魅了された。「パソコンでここまでのゲームができるのか…」と。このゲームは、エニックスという会社を一躍有名にし、それまでビジネス機だと思われていたPC8801をホビー機として位置付けるのに、十分な説得力をもっていた。
ドアドアの魅力
ドアドアはそれまでのパソコンゲームには見られなかった、いくつかの特徴がある。まず、このゲームが何かのアーケードゲームの模倣ではなく、オリジナルのアイデアで登場したということだ。もちろん何もアーケードゲームを参考にしていないという意味ではない。作者の中村氏自身がアーケードゲーム狂だったことは知られているし、そもそもアイデアの発端は「ディグダグ」の「まとめて敵を倒す」ところから由来しているとインタビューでも語っている。さらに、いろいろなアーケードゲームの要素が組み合わさっているのは事実だ。それでも「ディグダグ」の「岩でまとめて倒す」というアイデアから「モンスターをドアにまとめて閉じこめる」という発想ができたという部分でオリジナリティが非常に高いと言えるだろう。 ゲーム性は・・・
ドアドアはインパクトだけではない。ゲーム性も当時の他のゲームとは一味も二味も違っていた。ドアドアに登場する敵キャラクターたちは、「パックマン」に登場するモンスターからヒントを得て作ったものだろう。たとえば、敵の種類、名前、タイトルデモ画面の表示、敵の動きの特徴がそうである。敵の動きの特徴とは、自分と敵キャラクターが同じ階にいるときに、ナメゴンは直進、アメちゃんは下の階へ、インベ君は上の階へ登るというものだ。また、各キャラ共通で、自分が敵よりも少しでも上にいると、階段を登り、逆なら下る。この習性を利用して、はしごの直前でチュン君をジャンプさせると、敵ははしごを登る。また、2匹の敵が離れているとき、1匹目をドアに閉じ込めてドアを少し閉じる。するとその敵はしばらくすると出てきて、2匹の間隔が狭まり、2匹を同時にドアを閉じこめるチャンスが増える。このような多様なテクニックを使って、敵をいかにまとめてドアに閉じ込めるかというパターン作りがドアドアの最もおもしろいところなのである。このような非常に高い次元での戦略が考えられる完成度をもったパソコンゲームは、ドアドアが初めてではないだろうか。
"ドア"というアイデア
ドアドアのような各階をはしごでつないだ、断面図のようなゲームはアーケードゲームでも古くからヒットゲームが多かった。ユニバーサルの「スペースパニック」は、地面を掘って敵を穴に落として埋めるという、平安京エイリアンの縦型ゲームだった。また、任天堂の「ドンキーコング」は炎を避けながら、杭をはずしたり、エレベータに乗ったりするアクション重視のゲームだった。しかし、ドアドアは各階に横開きのドアを設け、その中にエイリアンを閉じ込めるという全く異なるアイデアでこのジャンルにアプローチした。そのユニークさはどこにあるのだろう? ドアは正面を向いて設置されているのに、モンスターだけはなぜかドアの中に吸い込まれる。2次元の画面の中に「ドアの中」というまるで「ドラえもんの異次元ポケット」のような奥行きのある世界を作ったことだろう。モンスターはドアの中に入れるのに、チュン君は絶対にドアの中には入れない。一体ドアの中の世界はどうなっているのだろう? モンスターがドアの中に入ってしばらくすると、入った逆側から出てくる。実に奇想天外な発想である。このアイデアも実によく出来ているし、次に反対側から出てくるタイミングもうまい。固定画面のアクションゲームが、どのような要素を持てばおもしろいゲームになるのか、中村氏は実によく研究していたということだろう。
巨万の富を得た中村光一氏
作者の中村光一氏がドアドアを制作したときは、まだ香川県の丸亀高校の生徒だった。彼は高校の数学同好会でプログラミングを覚え、その後アルバイトで購入したPC-8001で次々にプログラムを作り、雑誌に投稿していく。アーケードの「スペースパニック」を模倣した「ALIEN part2」、コナミの「スクランブル」をそのまま模倣した、その名も「スクランブル」。これらで稼いだ印税で88を購入し、エニックスのコンテストに応募したのであった。ドアドアの大ヒットによる彼の印税額は3000万円以上といわれる。まるひと月新宿を飲み歩き、友人全員の飲み代を支払ったり、VF400というバイクやソアラを購入し、乗り回したり・・というエピソードは尽きない。その後チュンソフトを設立し、ドラクエなどで活躍していくことになる。
中村氏の写真:「ニュートロン」パッケージの裏面より引用
次に、PC8801を使ったリアルタイムゲームだったという点。88のグラフィック機能をここまで活かしたリアルタイムゲームは当時なかった。
さらに、ドアドアが全20面を持つ、完全なパターンゲームであったことも挙げられる。パターンゲームとは、「パックマン」に代表されるような、敵の動きに乱数がなく、常に一定の動きをするゲームである。パターンゲームの楽しさは、パターンを作る楽しさと、それが決まったときの爽快感だ。それまでのパソコンゲームでは、きちんと戦略を立てられるパターンゲームはメモリの関係で、ほとんどなかった。
最後に音。チュン君が動くとピポヒポとかわいいビープ音が鳴る。また、敵の速度に合わせて音楽もアップテンポになり、死ぬとご臨終の音楽が鳴る。今となっては当たり前のことのように思えるが、当時はこれがすごかったのである。
「ドアドア」に関連するすべての画面写真、パッケージ写真の著作権はエニックスに帰属します。