カレイジアスペルセウス


コスモスコンピュータより1984年11月に発売


ハイドライドよりも前に発売されたARPG

画面を歩きながら敵と戦闘し、それにより経験値をかせいで成長するロールプレイング(アクティブロールプレイング)の元祖として「ハイドライド(T&E SOFT)」が挙げられるが、実はハイドライドと非常によく似たフルカラーアクティブロールプレイングゲームが、「ハイドライド」発売の約一ヶ月前にすでに発売されていた。その名を「カレイジアスペルセウス(以下、CPと略す)」。しかし、現実にはハイドライドに比べて、このゲームを知る人は数少ない。なぜこの画期的なゲームが歴史の隅に埋もれてしまったのだろうか。



ゲームの進行

このゲームは「ハイドライド」と同様、画面内のマイキャラのペルセウスをテンキーで動かし、敵にぶつかって倒していくというものである。画面下には攻撃力、防御力、生命力が表示され、敵を倒すと攻撃力や防御力が上がる。生命力も敵を倒すと上がるが、ダメージを受けると減ってしまう。ペルセウスに経験値をつませ、攻撃力、防御力を上げて強くしていく。画面の敵は見た目では強いのか弱いのか全く分からないので、とりあえず当たってみて倒せる敵を探していく。ただし、序盤では海上にいる「カニ」などはめちゃくちゃ強く、ペルセウスは一撃で死んでしまう。
画面を移動するには、テンキーで移動できるが、陸にはワープトンネルが数ヶ所あり、これを使って島の各地に瞬間的に移動できる。また、いかだがあり、これに乗って島の回りを自由に移動することができる。ただ、あまり調子に乗って移動していると、座礁して動けなくなることがあるので注意しなければならない。
こうしてすべての画面上の敵を倒して閉じ込められている星座をすべて取り戻すか、どこかにいる女神を3人助け出すとゲーム終了となる。


自分はターミネーター?

CPで登場するキャラクターは12星座に関連する敵なのだが、この絵の出来が悪い。ハイドライドのキャラクターは、少ないドット数でキャラクターを表現するため、2頭身を用いた。2頭身でデフォルメすることにより、誰が見てすぐに分かるような特徴付けをしたのだ。一方、CPは生物の形のまま表現しようとしたため(多頭身)、かなり絵に無理がある。それでいて色が効果的に使われていないので、なおさら絵からはどんな生物なのか判別がつかない。せっかくハイドライドと同じようにフルグラフィックでの重ね合わせ処理をしているのだから、せめてもっと色使いに凝ったキャラクターを作っていれば・・と残念に思う(主人公のペルセウスに至っては、黒服を着ていて、正義のヒーローというよりも島中の生物を殺すターミネーターのようだ)。



ストーリーが先かマップが先か

カレイジアスペルセウスは、ギリシャ神話をモチーフにしている。ストーリーを要約すると、「かつて美しき女神たちが集った南の島は、妖魔ゴルゴンの侵略を受けて後、不気味な魔の島になってしまった。女神たちの嘆きを聞き取った全能の神ゼウスは、勇者ペルセウスに聖なる剣と盾を授かり、女神たちを救う・・・」といった感じである。「ハイドライド」がフェアリーランドという世界を美しいグラフィックで見事に表現していたのに対し、カレイジアスペルセウスではこのギリシャ神話の世界を残念ながらまるで表現できていない。それを何よりも感じるのは、ゲームの舞台となる孤島のグラフィックである。ハイドライドと比べるのは酷なのかもしれないが、ビジュアルとして世界を訴えるためには、パターンがあまりに少なすぎる。山、平地、緑地・・これくらいしかないのである。もしハイドライドのような城や墓場や川がきれいに描かれていたら・・・もっとこの世界を楽しく歩き回ることができただろう。
このゲームの原案は「いかだが漂流して孤島につくというアドベンチャー」だったらしい。それをキャラクターがちょこちょこと動くロールプレイングゲームに変化させていった。そして広い孤島のマップをなんとかメモリに収める方法をみつけ、あとで取ってつけたようにギリシャ神話をもってきた。一方ハイドライドは、フェアリーランドという世界を先に構築して、それに対して細かくマップを味付けをしていったのだと思う。ここがハイドライドとの差なのだろう。CPは広いマップを階層化という手法を用いてメモリに収めており(まだ当時はめずらしい手法)、この成功で満足して世界を表現するということまで手が回らなかったのかもしれない。



ゲームバランス

CPは、ハイドライドに比べユーザーに不親切だ。自分の体力値、攻撃値などが数値で表示されていて、ハイドライドのメーター方式に比べると圧倒的に視認性が悪い。また、敵の体力値が表示されないので、ダメージを与えているのかもわからない。このゲームは、ある一定の攻撃力以上がないと敵にダメージすら与えられないというゲームなので、当たって砕けろ戦法で敵にアタックして、倒せるか確認するより他に方法がないのだ。また、攻撃に戦略性もなく、ハイドライドのように後ろからアタックするとダメージを受けないなど、そんな高度な(?)ものはない。
ゲームの進行も単調だ。ハイドライドのようにアイテムがあって、それを取ると次の場面へ進むといった展開はない。そもそもアイテムがないのだ(強いて言うと、体力回復のベルぐらい)。CPは島にいるどの敵を次に倒せるのかを考えるだけの単調なゲームだ。そして、敵を倒すことで得られる12星座をすべて取るか、捕らわれた3体の女神を救い出すと終了である。女神も結局敵を倒すことで得られる(最も強い3匹)ので、謎などない。



評価するべきところ

CPには、もちろんすばらしい面もある。オンメモリの広大なマップや、キャラクターの重ねあわせは当時としては見事だ。また、いかだで島の周りをぐるくる回ったり、海を入れれば何千画面(海をカウントするのは詐欺だけど実際は70面くらい)もある。敵を倒すだけという単純なところも、初心者向きですっきりしていてよいとも言える。ただ、敵の出現位置に関してはかなりバランス悪いのが残念である。まぁそれはともかく、ハイドライドよりも前に発売され、オリジナルでここまで作り上げたという事実をまず評価しないといけないのだろう。
しかし、やはりハイドライドとどうしても比べてしまう。それは同時期に発売されてしまったサガというものだ。ハイドライドは、これらほとんどの面でCPを上回ってしまった。これは、CPがパソコンショップに集まった東工大の学生中心に作った「学生プログラマーのセンス」だったのに対し、ハイドライドがT&Eの内藤氏を中心として作った「プロのセンス」だったという違いが露骨に現れたものではないだろうか・・などと考えてしまう。

カレイジアスペルセウスは、そういった意味で不幸なゲームだった。ハイドライドがあれだけヒットしてしまったために、当時の人は「あの広告だけ大きかったゲームね」とか「ハイドライドの出来そこないのゲーム」とか、必ずハイドライドと比べられ、ケチをつけられてしまう。確かに、カレイジアスペルセウスの当時の宣伝は、かなり誇大広告気味だった。それだけユーザーも期待していた部分が多い。それだけにちょこっとプレーして、裏切られたという感想を漏らす人が多いのだ(私もその一人ですけどね)。しかし、このゲームを最後まで解いた人は、このゲームのおもしろさを今でも語ってくれる。「ただ、倒せる敵を探して、敵を全滅させる。そうすれば自然とゲームが終了する。この単純な作業がなぜかおもしろい」と。このゲームを「クソゲー」と認定する前に、一度最後まで解いてみてはどうだろうか?

参考文献:PCマガジン1985年11月号

カレイジアスペルセウスに関連するすべての画面写真、パッケージ写真の著作権はコスモスコンピュータに帰属します。