英雄伝説サーガ


マイクロキャビンより1984年8月に発売


劇画調アドベンチャー

このころから、アドベンチャーゲームの絵による表現が確実に変わっていく。それを強烈にアピールした1作が英雄伝説サーガである。それまでのアドベンチャーゲームの絵は、ゲームを進行させるために絵が存在していた・・と言える。しかしサーガは極端な話、絵を魅せるために存在したゲームではないだろうか。


魅せるゲーム

ゲームをスタートすると、劇画調のグラフィックが画面いっぱいに広がり、そのあと同じ画面がパッと縮小されて表示される。また、ゲーム中は移動する度に、画面が右から流れるように表示されるという効果を入れている。これをアニメーションと呼ぶかは定義によって変わるだろうが、これらの効果は、グラフィックをディスクから一度メモリに転送し、それをGVRAM(グラフィックVRAM)へ座標を変えて転送するという単純な技術を効果的に使用したよい例である(少ない労力で大きな効果が得られた)。

※フル画面で表示される絵は「320×100」のデータを、1ドットごとに間引いて表示して「640×200」ドットに見せているだけで、圧縮技術は「デーモンズリング」のようなものは用いられていないと思われる。逆にこの効果は、高度な圧縮ができないという技術的な制約があったからこそ生まれた産物なのかもしれない。


サーガのゲーム性

サーガのゲーム性は正直いうと、ほとんどない。これは単なる迷路ゲームである。スタートしてから最後までほとんどグラフィックは変わらない(森をさまよったり、岩場をさまよったり・・右の絵のようなのばっかり)。よって攻略はほとんど迷路を方眼紙に書いていくという地道な作業である(実はマップを書くとマップ自体が「マイクロCABIN」となっていて、こんなところに芸があるのだが)。前半は2ヶ所だけある川に突入できる場所をさがすことだ。これも地道に森に一生懸命話しかけて(よく考えるとあぶないやつだ)、「わたしたちをとおりなさい」という森の木をさがすのである。川も渡れる地点が限られていて、間違えると流されてしまう。その後もドラゴンを倒すためにいくつか難関があるのだが、謎らしい謎はない。


サーガを作った人

サーガの原画、ゲームデザインをしたのは加藤雅史氏。彼は三重大学の漫画・アニメ研究会に所属していたが、サーガのプログラムを担当した伊藤氏に誘われて、大学を中退しマイクロキャビンに入社した。サーガの原画は水彩で描かれていたが、イメージスキャナで取りこむと画面全体が白っぽくなるため、1枚1枚写真に撮り、その写真にサインペンを使って輪郭を太くするなどの修正をかけたという。この写真をスキャナで撮りこみ、あの美しい画面を再現しているのだ。彼はその後「はーりぃふぉっくす」「カーマイン」「セイレーン」などのゲームデザイナーとして活躍した。


漫画付きゲーム

サーガには、プロローグとして漫画がついている。この漫画を読んでいないとゲームができないというわけではないが、北欧に伝わる神話を表現したこの漫画は、プレイヤーにサーガの世界観を構築させるのに一役かっていた。

※漫画付きのゲームの元祖としては、「走れ!Tiny君(システムソフト/1983年)」がある(PC-6001用)。漫画は「クッキングパパ」のうえやまとち。通常時は3等身、コンピュータに向かうと6等身のTINY君が主人公というもの。作中に出てきたゲームがそのままゲームに収録されておりマニュアルも兼ねている。たいにゃん氏原作で、当時話題になった。


最後に

いろいろと話題になったサーガだが、ゲーム自体はいじわるな迷路ゲームでしかない。この頃ならではの「一発屋ゲーム」とでもいったらよいのだろうか。しかし、このゲームがその後、各ソフトハウスへのグラフィックに対しての意識を変えるのに一役買ったと言ってもよいのではないだろうか。

加藤氏の写真:テクノポリス86年10月号P.107より引用
テクノポリス86年10月号より一部引用
「英雄伝説サーガ」に関連するすべての画面写真、パッケージ写真の著作権はマイクロキャビンに帰属します。