サラダの国のトマト姫 by 平井氏


ストーリー

それは人類が2本足で立てるようになるより、はるか昔、大昔のことでした。この地球からずっと離れた銀河系の反対側にわたしたちの星とよく似た星がありました。
その星の上には、わたしたちと同じような文明が栄えていました。これはその星にあった王国でのお話です。
この王国は地球でいえばアルプスの谷間にあるような小さな国でしたが、国民はキャウリ、ジャガイモ、ピーマン、ニンジンなどの野菜ばかりでした。
いろいろな種類の野菜たちが集まって国を作っていたのです。この国では野菜同士みんな仲良く、野菜の品種差別制度というのはありません。ネギもダイコンもキャベツも毎日を楽しく暮らしていたのです。
この国をサラダ王国といいます。王様はオニオンという、とてもよい人でした。オニオン王は多くの国民から慕われていました。
オニオン王が国民に好かれるようになったのは、サラダ王国の国民をしばしば襲撃して野菜たちの恐怖の的であったヤオヤ族やノーミン族を征服して王国の平和を守り抜いたからです。
いきなり現れて年頃の娘をさらっていくノーミン族や、サラダ王国の国民を外国に売り飛ばすヤオヤ族がいなくなっので、国民はとてもとても喜んでいたのです。
王様は名君として多くの国民から尊敬されていたのです。ところが、これを面白くないと考えているのがオニオン王の側近の1人であるカボチャ族のパンプキング。


パンプキングはいつか自分も王様になってやろうとしていたのですが、オニオン王の人気は高まるばかりなのです。パンプキンのいるカボチャ族は昔からあまり人気がありません。サラダ王国のファッション雑誌に紹介されるのはいつもカイワレダイコンやレタス、キュウリといった野菜ばかりで、スタイルの悪いカボチャは若い人にも嫌われ、デートに誘われることもありませんでした。
若い娘はデートをするならカイワレダイコンやレタスを選びました。「男はなんたって顔ですよ」と娘たちは口々にいいました。顔もスタイルも悪いカボチャ族の人気は一向に上がろうとしません。怒ったのは、族長のパンプキングでした。
「顔がなんだ!スタイルがなんだ!オレたちも同じ国民だぞ」不満をつのらせていたカボチャ族の怒りが爆発する日が来ました。
彼らは、ある日、オニオン王のいる王宮に押し入り、クーデターを決行したのです。カボチャ族の兵隊のヨロイはとても堅かったので王宮の兵隊はみんな打ち負かされてしまいました。「見よ!サラダ王国の夜明けだ!」クーデターを起こしたパンプキングは叫びました。


ついにカボチャ族の時代がやってきたのです。顔もスタイルも悪いため、長い年月コンプレックスにあえいでいたカボチャ族が、ついにサラダ王国の全権を握ったのでした。
クーデターが成功すると、パンプキングはカボチャ大王と名乗り、オニオン王をスープ・ド・オニオンの刑にし、オニオン王の娘を追放しました。サラブ王国に新しい時代が始まりました。カボチャ達は顔とスタイルの悪さで若い娘や青年とデートができずにいたので、天下をとるやいなや国民に仕返しを始めました。
カボチャ大王は国民にとても重い税金を課しました。税金はとても払えないほどたくさんありましたが、政府の取りたてはとても厳しく、国民の生活はとても苦しい物になりました。
国民の中には税金を払えずにカン詰め工場に身売りしたり、強盗をするものが多くなりました。このような生活が続く中でカボチャ大王に対する反発が強まってきました。
高い税金を取りたてながら、政府の役人は国民のためになにもしようとはせず、いつも遊んでばかりいましたから、反政府のグループがあちこちに生まれました。


このグループはやがて団結して反乱軍が組織されました。そしてついにカボチャ大王の国王軍と反乱軍の間で内戦が始まりました。
このとき、反乱軍の司令部は自分たちのリーダーとしてオニオン王の娘であるトマト姫を迎えたのでした。
トマト姫がリーダーになることによって、反乱軍の支持は一層高まりましたが、国王軍との戦いはなかなか決着をみません。
どちらも相手に決定的な打撃を与えることが出来ないまま、戦線は膠着状態を続けるばかりです。この状態を打開するため、カボチャ大王はトマト姫の誘拐を思いつきました。


「反乱軍はすぐさま無条件降伏せよ!さもないとトマト姫は・・イッヒッヒ・・」カボチャ大王の通告が反乱軍司令部に届きました。トマト姫をまんまと捕まえたカボチャ大王は、反乱軍を一気に殲滅するため、姫の命と引き換えに、全面降伏を迫ってきたのです。
このため多くの反乱軍兵士がトマト姫の救出に向かいましたが、誰も姫を助け出すことはできません。
「生きているなら、声だけでも聞かせて欲しい」という人々の願いもむなしく、姫は厳重に閉じ込められてしまいました。このため反乱軍の降伏は時間の問題と思われました。


そんなとき、諸国を旅するキュウリ戦士がこの国に立ち寄ったのです。事情を聞いた彼は反乱軍のためにトマト姫を救出することにしました。彼は姫が監禁されているカボチャ大王の城へとたった1人で向かいます。はたしてキュウリ戦士は、トマト姫を救えるでしょうか?政府軍はキュウリ戦士にトマト姫を奪い返されてしまうことになるのでしょうか?
物語はクライマックスに向かっていきます。あなたはキュウリ戦士となってトマト姫を救出してください。(ストーリーをマニュアルから抜粋)



ゲームの概要


当時、『デゼニランド』でパロディを含む内容のアドベンチャーゲームを発売し、爆発的な人気を得たハドソン。そのハドソンがパロディアドベンチャーの第2弾として発売したのが、この『サラダの国のトマト姫』でした。

タイトルからしてパロディであるこのゲーム。お姫様を戦士が救出するというファンタジーでは定番な内容なんですが、なんと舞台は”サラダ”という国で、救出するのは”トマト”姫。しかも自分は”きゅうり”! 設定からしてイカス! まるでファンタジーっぽく無いのがたまりません(逝)


登場人物は殆どが野菜や果物で人間は出てきません。でもプレイしているうちに野菜という設定が、もの凄くピッタリでビックリ。人間以上に人間を表現しています。例えば、たばこ屋のおばあちゃんは梅干しなんですが、梅干しだからしわしわな姿も納得できるし、お弁当屋さんのモモは、”モモ(ピーチ)=かわいい”というイメージ、”プリティ”さがうまく表現できていました。

しかしパロディゲームで人気を博した前作の『デゼニランド』同様、このゲームもコマンド入力に泣かされました。畑を叩くということを思いつく人はそんなに居ないと思います(笑) また、入力方法もたまに動詞だけでいいとか、場面によってコマンド入力方法が違うというのは、ちょっとプレイする方には辛い仕様でした。「カワイイ」とか「マツ」という言葉に泣かされた人の数は、きっと夜空に輝く星よりも多いに違いありません(逝)それ故に、コマンドがわかった時には、裸踊りしたくなるぐらい嬉しかったんですが(逝)

また、頭に来たのがアイテム! 途中街で手に入れるアイテムが違っていたりすると、クリアできない! せっかくここまで来て~という展開があります。昔のアドベンチャーゲームにはよくあることだっんですが、それでもこういうトラップは厳しいですな・・・。


でもでも、そんな不満点がありながらも、最後までプレイできたのはやっぱり、面白いから! 登場する野菜達が繰り広げる世界は、とてもユーモアに溢れていながらも硬派なストーリーでした。後にファミコンにも移植するぐらい、ハドソン社にとっても自信作だったんでしょうね。

最近こういうお遊びがある硬派なゲームって無いんで寂しいですな~。

文章:平井氏



サラトマを作った人・竹部隆司&中本伸一氏

サラトマを制作したのは、ハドソンの竹部隆司氏と中本伸一氏のコンビである。ハドソンは古くからパソコンゲームを制作・販売していた業界の老舗として有名であった。しかし、初期のハドソンは月にソフトを30本も制作して、質よりも量で勝負といった感の強いメーカーであった。それが1983年あたりから、厳選した自信作を1月に1本発売するという方針に変更。その結果が「デゼニランド」や「サラダの国のトマト姫」といったヒットゲームへと繋がったのである。「スタッフの意識と市場の動向が一致した結果」というが、大ヒットした「デゼニランド」を制作した両名はアップルのアドベンチャーゲームもそれほどやりこんでいなかったという。むしろ、国産のそれまでのアドベンチャーゲームが、あまりに真面目に作りすぎているところに、プレイしていて息苦しさを感じたという。SF好き、自他ともに認める洋画ビデオコレクターだった竹部氏は、自分たちなら正攻法ではなく、もっと違う題材で作れるはずだという信念のもと、当時ブームだった「東京ディズニーランド」を題材にしたゲームを作ろうと考えたそうだ(ただ、こうすることで、ディズニーランドへ取材がてら遊びにいけるという「遊び心」があったらしいのだが)。こうして誕生したパロディーアドベンチャーゲーム、「デゼニランド」は10万本を超える大ヒットとなった。そして「竹部&中本」のコンビもマイコンベーシックマガジンなどに登場して一躍日本のスタープログラマーとして脚光を浴びるようになった。
竹部隆司氏は昭和32年9月生まれ。彼は高校時代にミニコンに触れ、それ以来病みつきになった。そしてTK-80BSのスタートレックにはまり、その後ハドソンのスタッフになったという。
一方の中本伸一氏(写真)は、昭和33年1月生まれ。彼は竹部氏よりも古くからハドソンに在籍している。彼がはじめてパソコンに触ったのは、TK-80といったワンボードマイコンが出たころであった。このころ、7セグメントのLED表示を使っていろいろなゲームをすでに作っていたという。「おもしろそうな物にはなんでも手を出してしまう」という持ち前の性格通り、彼はコンピュータに対して非常に敏感であった。当時塾の講師をしていた中本氏は、生徒の成績やカリキュラムの管理をコンピュータを使ってできないかと考えたが、当時のマイコンではとても使えるものではなかった。そしていろいろと遊んでいるうちに、マイコンはゲーム以外には役に立たないと感じたそうである。
中本氏とハドソンの出会いは、中本氏がたまたま地元のマイコンショップでマイコンを購入したときだった。当時はマイコンを単体で売る店が多かったのだが、ハドソンはゲームソフトを必ずつけて販売していた。つまり、マイコンはソフトがなければ何もできないということをハドソンは早くから分かっていたのである。そのようなポリシーに惹かれて、中本氏はハドソンでバイトをはじめることになった。
そのころ、ハドソンは社長の工藤氏を含めて3人しかいなかったので、中本氏は売ったコンピュータをかついで客のところまで運んだり、ハードやソフトのメンテをしたりしていた。また、ソフトも内部で制作しながら、お客さんが来店すると作業を一時中断して、相談にのったりしたそうだ。
中本氏は多少マシン語を組み合わせたソフトも制作しており、初期の多くのMZのソフトなどを制作していたようである。また、松下電機のJR-100用のBASICを制作したのも彼だという。
その後、「デゼニランド」を竹部氏と制作し、続いて本作「サラダの国のトマト姫」が誕生する。登場人物を野菜にした理由だが、当時このように語っている。「プレイヤーが登場人物により多くの対応を求めてしまうのだが、その当時のパソコンでは、人間レベルの会話を求めるのは無理である。そこでモノを擬人化してしまえば、プレイヤーも納得してくれるだろう」。そう、サラトマは当時のコマンド入力式アドベンチャーゲームの欠点であったレスポンスの悪さに対する1つの回避策だったのである。
中本氏はこのあとファミコンゲームに進出し、「ロードランナー」を制作。当時パソコン業界からファミコン業界への転身は、ハドソンくらいなものだった。ファミコンは「おもちゃ」というイメージが業界の中にあり、これを積極的に取り組んだ結果がハドソンを一躍大会社にする要因となったのである。

参考文献:
ログイン84年11月号P.104
テクノポリス87年3月号P.97より引用
中本氏の写真:テクノポリス87年3月号P.97より引用

「サラダの国のトマト姫」に関連するすべての画面写真、パッケージ写真の著作権はハドソンソフトに帰属します。