三国志


光栄より1985年12月に発売


ロングセラーゲーム

三国志・・・おそらく私が「信長の野望」の次に徹夜したシミュレーションウォーゲームはこれでしょう。実は私は三国志自体の話をこのゲームをプレーするまで知らなかったのですが、なぜかこのゲームに一気に引きこまれて、吉川英二の三国志を全部読んでしまいました(こういう人も多かったはず)。このゲームの魅力は一体なんだったのでしょうか。


三国志がおもしろかったのは

「信長の野望」で、マネージメントのような国政シミュレーションのおもしろさ体験した私は、別の似たようなゲームを探していました。そんなところへ光栄から「蒼き狼と白き牝鹿」というゲームが発売になりました。これは最初98用でしたが、88用も少し経ってから発売されました。楽しみにしていた私ですが、このゲームにはどうもなじめませんでした。「蒼き狼と白き牝鹿」の欠点は、人名がカタカナ文字でやたらと長く、さらになじみが薄いことと(98版は漢字表示ですっきりしていた)、戦闘画面は小さくていまいち迫力がなかったこと。オルドなどの付加的要素がかなり入ったのだが、これらがいまいちゲームのおもしろさに貢献していなかったことなどが挙げられるでしょう。そしてなにより、「信長の野望」にあった「こうすればどんどん強くなる」という"コツ"を見つけ出す前に嫌気が差してしまったということがあります。
失望した私は、次の製品の発売を待ちます。そして85年末に「三国志」が発売となりました。三国志というストーリー自体、私は知らなかったので、やはり人名に対するなじみは薄かったのですが、とりあえず、「信長の野望」のノリでプレーをしていました。このゲームは「信長の野望」ほど、国政の要素は強くありません。お金を得るのには、とりあえず「軍資金を調達」すれば街でお金を探索できますし、開墾や治水といった要素も、それほど重要ではありません。では、なにがこのゲームのキーだったのでしょうか。
私は最初、劉備でプレーしていたので分からなかったのですが、ずっとプレーしているうちに、コマンドを実行したあとで助言をする人がいるのに気がつきました。実は知力が90以上の武将が配下にいると、なにかコマンドを実行したときに助言を与えてくれるのです。劉備というキャラクターは、初期のシナリオでは配下に知将が存在しないので、全然気がつかなかったのですが、このシステムがなんともおもしろい。また知将は戦闘でも「火計」やら「計略」やらを成功させる確率が高くておもしろいのです。三国志では、人材が命であることをこのときはじめて知りました。
これが分かると、さっそく他の国へ赴いたり、馬を送ったりして、次々と知将獲得に乗りだします。自分の国に名将、知将がずらっと並ぶ様は圧巻です。逆に懇意にしていた武将に裏切られたときの悲しさ、怒りも格別です(笑)。三国志という"人"中心の演義をこのような形でゲームに演出してしまった光栄のアイデアはすばらしいものがありました。人材を取り合うことがこんなにおもしろいなんて・・。しかし、現代のビジネス社会でも人材の取り合いというのがありますが、似たようなものなんですかね・・。



三国志のすごさ

三国志のすごさは、当時の世界を、数値によってプレーヤーに違和感無く表現しているところにあります。光栄は「信長の野望」以来、歴史ゲームを制作するときにかなりこまめに歴史考証を行ってゲームを制作していたので(まぁシミュレーションゲームとしては基本的なことなのですが)、この数値がユーザーのイメージと違和感がないということがとても重要です。
たとえば、知力というパラメータ。三国志随一の知将「諸葛亮孔明」は当然「100」という最高の値。そしてそのライバル「司馬仲達」は「99」など物語の中心となる武将を0から100の間の数値できちんとランクづけし、ユーザーの納得のいく初期設定になっています。ただし、あまりメジャーでない武将については、そこまで歴史検証ができなかったのか、いまいち不明瞭な値になっているところは残念です(「三国志II」やその後のシリーズではだいぶ改善されているようですが)。
また知力が90以上になると、こちらのコマンドに対して、いろいろと助言をいうようになるのですが、これがこのゲーム最大のポイントで、このアイデアを考えた光栄の方(襟川社長かは知りませんが)は本当にすばらしいと思います。ちなみに知将の知力が99以上になると絶対嘘を言わなくなるので、プレーヤーは君主の知力を100にし、本をあげて知力を99以上になるようにするんですね(笑)。ちなみにどんな武将でも時間さえあれば知力は99まで上がります。たとえば、無法者の張飛でも百発百中の助言をするようになります(なにか不気味なのですが)。
このゲームは内政自体にはあまりかかわる必要がありません。国力を増やそうと思えば、道を歩いて軍資金を探したり、国ごと移動してお金を集めたり、そのやり方はいろいろです。中国大陸を舞台にしているため、空いている国がたくさんあり、たとえ自分の国を戦闘で失っても、放浪して別の国で旗揚げするというアイデアもユニークでおもしろいです。つまり自国を失うといきなりゲームオーバーになる「信長の野望」とは対照的に、精神的にかなり楽にプレーできます(日本では狭くてこんなことができないんですね・・(笑))。
話が逸れましたが、武将の武力についてです。やはり数値はうまく設定されています。三国一の猛将「呂布」は「100」。張飛が「99」などこれも納得でしょう。ただし、武力は知力に対して、あまり戦闘などでも際立った強さの差が見られなかったのがちょっと残念です。三国志のおもしろさには、"知将の駆け引き"と"一騎当千の武将の対決"があったわけですが、後者の要素がほとんど取り入られていません。これは「三国志2」でだいぶ解消されているようです。
また、コマンドも「信長の野望」よりも進化。信長の基本コマンドに人材に関するコマンドが多数追加されました。「三国志」は「信長の野望」とちがって、民の忠誠をあげるというよりは、武将という個人への忠誠や能力を大切にするゲームですので、人材を引き抜いたり、在野の武将を探したりという違ったコマンドがあります。

戦闘では、一ヶ月以上に及ぶ戦闘が可能になり、この間に増援をすることが可能です。また、兵糧を取られると一気に全滅したり、火を起こして風向きを計算しながら相手を死地に追い込んだりすることもできます。「三国志」のもう1つのおもしろさである武将の強さがあまり目立たないのですが、一騎撃ちなどをしたときには、かなり武力の値が重要視されるようです。ただ、知力の値もかなり影響している気がします(戦闘自体にはあまり知力は関係ないような気もするのですが)。



三国志の欠点

「三国志」の欠点について。「三国志」では、他の国から武将を引き抜くことができるのですが、これがあまりに唐突にできてしまいます。たとえば、南の果ての国から、北の果ての国に1ターンでいきなり自ら出向いて武将を引き抜いたりできてしまいます。ちょっとでも自国に忠誠が低い武将がいると、あっという間に遠い国に瞬間的に移動して、取られてしまうのです。これはあまりに現実離れしており、ちょっといただけません。そもそも「三国志」の物語では、人材を得るのに全く脈略のない国から人材を得るというのはあまりなく、どちらかというと戦闘で負けた相手をいかにこちらに手なづけるか、ということが大事だったと思うので、この要素が入っていなかったのが残念です(相手に取られるくらいなら、みんな打首にしてしまうという悲しい現実がおきてしまいます)。 また、知力が99以上の軍師になると助言が必ずあたるようになるのですが、忠誠が高い人材を引き抜くときに、何度もコマンドを実行して、軍師のいうことがOKになるまで繰り返すという技を使って引き抜きができます。だいたい軍師がいうことをコロコロ変える自体がおかしいので、これもなんとかしてほしいところです。

それと自国の国の政治を配下の武将に委任できるのですが、この委任の思考ルーチンがかなりバカで、勝手に戦争はするわ、財政難になるわで、使えません。知力90以上の知将が担当したときは、驚くような治世を期待するというものです。そのあたり、ちょっとズルをしてもよいから、うまく出来ているとさらに政治力のある人物に対する思い入れが出来てよかったと思います。

ゲームと関係ないのですが、このゲームの最大の欠点を挙げましょう。それはズバリ、値段です。当時14,800円でした。これほど高額なゲームソフトを私は見たことがありませんでした。光栄のゲームがなぜこんなに高騰してしまったのか、これはいろいろと説がありますが、最も有力で笑えるのが「プロテクトにお金かけている説」。光栄のゲームは、コピー対策のために、1つのゲームに複数のコピープロテクトバージョンが存在します。このため、プロテクトをかける会社にかなりのお金を払っていたと思われます。しかし、これで14,800円という値段設定にするのならば、プロクテトなしで、3,000円の定価にして高校生あたりでもなんとか買える値段に設定してほしかったと思います(実際は人件費が一番金かかっていたのでしょうけど)。

と、まぁいくつか欠点をあげましたが、それを差し引いてもあまりあるおもしろさと魅力がこのゲームにはあります。今このゲームを遊んでも、とってもおもしろく完成度の高いゲームは時代に左右されないことを身にしみて感じます。


三国志はどのように作られたか?

ここで記述している話は、すべて雑誌のインタビューなどから抜粋していますので、すべてが真実という確証はないことをはじめに明記しておきます。

「信長の野望」のヒットの後、光栄は「蒼き狼と白き雌鹿」という歴史シミュレーションを制作、そして「三国志」を発売し、いずれもヒットを収めました。これらの光栄の歴史シミュレーションゲームのすごさは、その歴史の再現性にあると思います。光栄の襟川社長は、「まずゲームに没頭してもらうには、熱中を妨げる要素をとればよい」ということを当時語っています。歴史シミュレーションゲームの場合、コンピュータの中に作り上げられた架空の世界で、歴史と同じ舞台を再現するため、ユーザーがちょっとでもゲームがまやかしの世界に見えたり、何かがおかしいと感じるとすぐにつまらないものに感じてしまいます。だからおかしいと感じる要素をどんどんとっていって、必要最低限の情報で実際にそうなんだと思わせるだけの状況を設定することが大切だと当時語っています。

光栄は、この疑似体験を設定するために、三国志ではまず歴史の考証からはじめたそうです。具体的には、有名な吉川英治の「三国志」を社員に読ませることから始めました。シナリオ担当はもちろん、グラフィック担当、営業、社長もです。それで社員がみな同レベルで三国志の話ができるようにし、孫権や劉備の名前などをいちいち尋ねられないように、誰でも当たり前のように話ができるという状況にもっていったそうです。

そのあと、中国の歴史をまた全員で勉強したそうです。三国志は小説であり正確な歴史ではないからです。グラフィックの担当者は当時の風俗を国会図書館で調べたりしたそうです。そしてこのあともっとも重要な作業に入ります。それは三国志をゲームとして表現するのに、どの要素をパラメータとして持つかということです。「まず最初にできるだけたくさん、その時代をあらわす要素を取り出して、ならべてみる。そしてこれだけあればこの時代を表現できる、その世界の疑似体験を構築できるというところまで要素を列挙する。すべてのパラメータをいれるのは無理だが、パラメータが増えすぎないように、度合いをみながら選択していく」と襟川社長は話しています。そして三国志の場合、その特徴的な要素して250人もの武将の性格付けという方法で表現しています。これが三国志でもっともたいへんだった作業のようです。総勢250名もの武将に数十種類に及ぶ性格付けをしなくてはならなかったからです。たとえば武将には忠誠心というパラメータがあります。このパラメータは三国志という時代を表現するためにかかせないパラメータです。なぜかというと、この時代の食うか食われるかという時代の主従関係(劉備と関羽の堅い忠誠心を100という値で表現できる)を一番わかりやすく表現できるものだからです。襟川社長は「こういう作業をしないと本当にリアリティがでない。ユーザーはこういう設定がちょっとでも甘いと、「なんだこのゲームは」って怒りますから。」と語っています。この綿密な作業と努力が、ゲームの世界を自然に、まるで空気や水のように雰囲気を醸し出す要因になっているのです。

このようなゲームに対する尋常でない練り込みとこだわり、そしてなにより製作者本人がゲームを楽しんで作るという要因が、大ヒットゲームを生み出す決め手となったのでしょう。襟川社長も「私自身が歴史ゲームが好きだし、ゲームを作ることは楽しい仕事です。」と言っています。

参考文献:月間BugNews1986年6月号、パソコンゲームの達人

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