太陽の神殿(アステカII) by 市川氏
日本ファルコムより1986年10月に発売
プロローグ
インカ、アステカ、そしてマヤ…これら古代文明は今でも多くの謎を残している。
これらの遺跡を探索し、謎を解明したいというのは男の夢というものであろう。そ
んな少年達の夢を叶えるゲームをファルコムは出してくれた。それがこの太陽の神
殿(ASTEKA2)である。マヤ人が追いやられ、滅びを感じさせた時代に残し
たマヤ最後の謎の舞台、チチェン・イッツァー。いざ古代文明の世界へ!
画期的なシステム
この太陽の神殿というゲームが発売された当時、パソコンADVは文字入力という方法でコマンドを打ち込んでいた。それはそれで素晴らしく、それ故に生まれた謎も多く設定出来たものである。しかし、その単語は制作者が決める為、どうしてもユーザーの思いつくものと食い違ってしまうことが多々あった。これが当時言われた”言葉探しのADV”というものである。 そんな時代、ファルコムはコマンド選択という方法を以てADVを完成させてしまったのである。しかも、これ以降ADVはこのシステムが主流となるのであるが、適当に全部コマンドを選んでいけばクリア出来てしまうというゲームが非常に多かった中で、このゲームはその点を良く考え、しっかりと考えて行動せねば絶対にクリアすることは不可能であった。そういったコマンド入力を純粋に選択式にしたという”だけ”でも、このゲームは今でも何か光るものを感じさせずにはいられないのである。
ようこそマヤの世界へ
このゲーム…というかこの当時のファルコムゲームに言えることだが、全体的なバランスが素晴らしかった。画面、雰囲気、音楽、ゲーム内容、そして謎…全てが素晴らしく、そして全てが調和し合い響きあっていた。それ故、実に世界に入り込みやすかった。難しい…悩む…そんな感情もこの雰囲気の中ならば「当たり前のもの」として受け止めることが出来たものである。
とはいえ、このゲームの難しさは相当なものであったというところは否めない。まさしく制作者からのユーザーへの挑戦状である。また、古代文明に魅かたシナリオの宮本氏のこだわりでもあったのだろう。何度もリセットを押す度に思ったものである。「テープ版が発売されなくて良かった…」
私が一番わからなかった謎は”両目のマスク”に赤と青の宝石を埋め込み、壁を見ると立体映像のように一部の壁が浮き出て見えるというトリックであった。あれには非常に悩まされたが、また非常に感動させて貰った。このゲーム内容にしてあの謎といったところであろうか。どんなに訳のわからぬ理不尽な謎であっても、このゲームの持つ世界観ゆえに許されるところがあった。ああいった数々の謎が他のゲームで使われていたら腹も立つが、このゲームの内容故に「ああ…なるほどね」といった感情にとどめることが出来たものである。さすがファルコムといったところであろうか。
ところでこのゲーム、クリアした人は知っているであろうが、エンディングは鼻血ブーものの感動である。エピローグでは「おおおおおおおおおおおおおおお」と感動し、スタッフロールで「ハァハァハァハァハァ……バタッ」と卒倒すること間違いなし!…………俺だけか。
*オマケ・ファミコン版
また移動の際のシステムも、従来の「ニシ イク」といったものではなく、キャラクターがチチェン・イッツァーを歩き回り、好きな遺跡に入り探索するといったものであった。これにより、チチェン・イッツァーの世界を歩き回っている気になれるし、遺跡の位置や、遺跡と遺跡の距離なども実感することが出来たものである。このゲームからしばらく前に主流となった…例えば駅から家まで移動する際に、駅にいる場合「イエ イク」(ただしこれはコマンド選択)といった距離感を感じられない移動方法と違い、実に臨場感があったものである。マヤ文明探索といった内容からして、このシステムは最高のものではなかったのではないかと今でも思う。
なんでモンスターとか大魔王とかが出てくるんだよぉ~。なんで主人公が神様に なってエンディングなんだよぉ~…シクシク。でも曲は最高。
てなわけで座談会
A:謎の語り屋からて氏
B:謎のぽっくり屋店員
A うう、やっとこのゲームの座談会が出来る(感涙)
B あ、このゲーム好きだったんですか?
A きさまー!今まで一緒のゲームが好きだったのにここに来て意見の食い違いが出たな…。
B だって難しすぎるんだもん、このゲーム。
A よし、最近でたサターン版をやれ。あれは素晴らしい出来だぞ。
B いや、だからこのゲーム自体あんま好きじゃないんだってば……。
A ふふ…そうか。ならば今回は俺の独壇場になりそうだな。
B ……そんなの座談会じゃないやい。
*シナリオは宮本氏。彼は偉大だ
B そうですねぇ、太陽の神殿にザナドゥ・シナリオ2、ロマンシアとほとんど同時発売みたいなもんでしたし。
A 他のソフトメーカーだったら「やりすぎ」で終わってたとこだがな。でもファルコムだと挑戦的って意味でみても、凄いゲームの連発だったな。
B ロマンシアとか。
A いいの!今回は太陽の神殿のレビューなんだから。
B はいはい…(気が乗らない)
A んじゃまずは…このゲームのどこが好きだ?
B だから嫌いだってば……。
A ……(プチン)
B (ハッ)やっぱりアレっすよねぇ。古代文明を舞台としたADVって凄く夢がありましたよね!特に「マヤの謎の鍵を握る”太陽の鍵”を探し出す」というのなんか最高じゃないですか。それを探し出せばマヤの謎が全部解けるんじゃないかという誤解……(ハッ)夢を与えてくれたし。
A うむ、でもあくまで鍵を見つけてからが本当の謎探しが始まる……っていう終わり方もすげぇカッコ良かった。
B アトランティス大陸に関係してるんじゃないかっていうアレ?
A そう、アトランティス自体が謎のままだからな。謎が謎を呼び……ううロマン。
B 謎が謎を呼んでそのまんま迷宮入り。
A 死んでしまえ!(爆)
*意外なとこで親切設計ではあったかもしれない
B でもなんかチマチマしててねぇ…。
A ん~、たしかにそれは同感。でもそういった部分もサターン版では改良されてて凄く良くなってはいたけどね。まぁパソコン版はイースが出る前だからなぁ。ひょっとしたら技術的なものが追いつかなかったのかもしれない。
B ハイドライドはすでに出てたのに?
A あれだって画面切り替えじゃん。ドラスレは16ドットスクロールがやっとだったわけだし。しかも背景真っ青で。
B まぁたしかに初代88用のゲームですもんねぇ…これ。
A うん、正直なとこ、ちょっとそれが残念なんだよね。
B やっぱダメだ、このゲーム…。
A ん?(怒)
B (ハッ)いや、でもそんなもん関係ないくらい謎がよく出来ていたゲームでしたよね。
A うむ、このゲームの謎は本当によく練られていたと思うよ。
B まぁたしかに。コマンド入力方式のADVでありがちな「適当にコマンドを選択してれば勝手に終わる」っていう部分が皆無でしたもんね。
A うん、選択したものが実は間違いで、セーブをせずにゲームが進むと枕を涙で濡らさなくてはいけない展開になるという…。
B セーブが数カ所で出来るというのがせめてものファルコムのお情けってとこですね。
A ちゃう!ああいったところが親切設定なんだよ。ただ意味もなく難しいだけのゲームじゃないってことさ。何度も悩まされるけど、失敗してもやり直すチャンスを与えてくれるってことさ。
B 親切を仇で返すようにボクは即行でやめました。
A じゃかあしいわ!
B あ、でもテープ版が出なかったのは親切だったかもしれない…
A もういい…
*でも…(BY B)
A でしょ?(にま)
B マニュアルなんかも凄く凝ってましたよね。パッケージだってザナドゥと同じくジオラマ作ったりしてたし。
A うん、ああいう細かい部分にまで気を遣うからこそ、イメージが残って後々まで語られるゲームになるんだよな、当時のファルコムのゲームって。
B たしかに。ああいったことって決して余計なことではなくて、世界のイメージをユーザーにしっかり受け止めさせる上で大事なことでしたよね。あれも太陽の神殿というゲームの中の一つなんですよね。
A うむ、このゲームはコピー禁止にするべきじゃった。マニュアルもパッケージもなくプレイするユーザーがいたなんて許せない。
B もともとコピーは絶対禁止ですって(笑)
*リバイバル版は?
B 最低です、アレ。このゲームが好き嫌いの問題じゃなくて、ただ画面と音楽を変えただけのあのリメイクは許せないっす。しかもCGも絵を描いてスキャナーで取り込んだだけとしか思えない。
A そうなんだよ。セガサターンのリメイク版をやってから、あれを見たから愕然としたぞ。サターン版は本当に凄かったもん。雰囲気を決して壊さずに、完璧なまでのリメイクに成功してたと俺は思う。それに比べてWINDOWS版は…。正直、あんな手抜きするくらいなら最初から出さないか、他のメーカーに制作を頼んで欲しかった。
B オリジナル版とリメイク版の差がほとんど分からなかった、ボク(笑)
A そうだよね。一旦出したからには、もう二度と出る可能性はないかもしれない。それをあんな作りにされたんだから…ちょっと悔しいよ。
B 思うんですけど、サターンの「ファルコムクラッシックス」をパソコンで出したら、そこそこ売れると思いません?
A 思う。ドラゴンスレイヤーと太陽の神殿の出来は素晴らしかったもん。
B ですよね。
A てなわけで我々で太陽の神殿作らんかね?RPGツクールも2000バージョンが出たし、あれは凄いぞ。
B だからこのゲームに興味ないんだってば…。
A あんたなんか嫌いよ!
B ではさよーならー。
A さいなら(いじいじ)
文章: 市川氏
太陽の神殿を作った人たちについて
おまけであるが、「アステカII」を制作したファルコムのメンバーを補足しよう。太陽の神殿は、「アステカ」からのゲームデザイナーである宮本恒之氏(写真)、後にイースのプログラマーで大活躍の橋本氏、グラフィックの山根氏、大浦氏の4人である。宮本氏はもともと家電の空調関係の仕事をしており、ちょうど会社の裏にファルコムがあった。昔からアップルがほしかった宮本氏がそこでアップルを扱っているという話を聞いて出向いたのがファルコムとの出会いだったらしい。そして通い詰めているうちに社員へ。ファルコムは設立当初メンバーが少なかったため、店番をしたり、コンピュータに向かったり、広告を作ったり、マニュアルを書いたりしていた。特に文章の才能があったのか、マニュアルを一手に引き受け、「ザナドゥ」のマニュアルも彼の手によるもの。
「太陽の神殿」の構想が動き始めたのは、1986年の1月くらい。各シーンのコーディング、全体のブロック図を書いて、それを元にデータシートにシーンごとに物が置かれている、いないというようなことを書きこんで原画を起こしていった。それと同時にプロット(アドベンチャー作成用の簡易言語のようなもの、橋本氏が3週間で作った)を使ってパソコンにデータを移し、さらに各メッセージを書くという具合。実際にプログラムに入ったのは4月上旬とのことである。
アイコン選択方式については、アドベンチャーゲームで最も困る「やることはわかっているのにコンピュータが言葉を受け付けてくれなくて先に進めない」という部分を解消するためにそれをまず最初に直そうと思ったらしい。また、ランダムにアイコンを押していればいつかは解けてしまうようなことのないように、工夫もしている。
宮本氏の写真:テクノポリス86年12月号P.107より引用
テクノポリス86年12月号P.105より引用
「太陽の神殿」に関連するすべての画面写真、パッケージ写真の著作権は日本ファルコムに帰属します。