通勤途中に聴くという方も多いJ-waveの朝の人気番組に当協会の理事長ジョゼフが生出演しました。
理事長本人もリスナーとしていつも聴いていた番組です。
六本木の綺麗なスタジオで素敵な朝日を見ながら、ゲーム保存について熱く語る様子は、以下のリンクから2019年1月4日まで視聴できます!
来年の課題は協会の場所探し。個人だけでなく企業や団体など多方面からのサポートを必要としています。
お正月休みのひと時、日本のゲームを愛して海を渡ったフランス人理事長ジョゼフの声を聞きながら、ぜひ今後のゲーム保存の未来について一緒に考えてほしいと思います。
録音へのリンク(メディア掲載ページ)
フォーマット: ギャラリー
名ゲームクリエイター木屋善夫さんがゲーム保存協会の名誉会員に加わりました
80年代のゲーム業界を大いに盛り上げ、今でも根強いファンがいるまさに伝説のプログラマー木屋善夫さん。当協会では2017年の夏の講演会ゲストとしてお招きし、貴重なお話しをたくさん伺いました。日本のゲーム史を語る上で欠かせない重要人物である木屋さんが、この度ゲーム保存協会の名誉会員として参加してくださいました。
ゲーム保存協会では、ゲームソフトやハードウェア、雑誌や書籍などを収集するだけでなく、こうしたものを作っていた当時の第一線のクリエイターの皆さんとの輪も大切にしています。人がいなければ文化は生まれません。名作ゲームの裏には、必ず、一人一人のヒューマンドラマがあるのです。人の足跡を記録し、証言を記録することも大切なゲーム保存活動である、との思いから生まれたのが、ゲーム保存協会の「名誉会員」制度です。
ゲーム保存協会には3つの異なる会員制度があります。保存活動全体を年会費によって支える「サポーター会員」、実際の保存作業や団体運営を行う「正会員」、そして「名誉会員」は過去の功績や現在のネームバリューで当協会の保存活動に貢献し、応援を送る特別な会員です。
木屋さんは現在もプログラマーとしてお仕事をされていますが、数年前より当協会正会員メンバーが個人的にやり取りを重ね、ゲーム保存協会の取り組みについてご説明しご協力をお願いしておりました。多くのレトロゲームファンにとってザナドゥやソーサリアンといった往年のファルコム大ヒット作は忘れがたい思い出のはず。木屋さんはそんな名作の生みの親として、過去のゲーム作品を保存する当協会の取り組みへのご理解と応援の気持ちを込め名誉会員への参加をご快諾いただきました。
ゲーム保存協会を応援する木屋善夫さんからのメッセージや略歴は、こちらのページでご確認いただけます。
名誉会員 木屋 善夫
このように、過去ゲーム文化の歴史に貢献された方からの応援は、活動を続ける私たちにとってとても心強いものです。未来にゲームの歴史をしっかりと伝えていくために、一つでも多くの資料を残し、一人でも多くの方と協力して取り組みたいと考えているゲーム保存協会。取り組みへの参加方法は様々です。今後も名誉会員に参加いただける方が増えるよう、透明性を保った団体運営と真摯な活動展開を維持してまいります。
どうぞ、今後のゲーム保存協会の取り組みへのご注目、そしてご支援ご協力をよろしくお願いいたします。
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写真:Nicolas DATICHE
特別講演「伝説のゲームクリエイターに聞く」第3弾を終えて
2018年8月4日に昨年と同会場のマイステイズ御茶ノ水コンファレンスセンターにてゲーム保存協会主催による講演イベント「伝説のゲームクリエイターに聞く」第3弾を開催しました。
これは毎年開催しておりますイベントで、昨年は元日本ファルコムの木屋善夫さん、山根ともおさんとログイン元編集長 新井創士さん(ほえほえ新井さん)の3名をお迎えしました。
「東の木屋」とくれば「西の内藤」です。
というわけで今年は「ハイドライド」を筆頭に数々の名作を生み出された元T&Eソフトの内藤時浩さんに御講演いただきました。
例年にない猛暑の夏ですが、当日も快晴、最高気温は34度という真夏日でした。
午前中に正会員出席によるNPO年次総会を行い、会計報告やいくつかの議題を協議し滞りなく総会は終了しました。
講演に先立って13時より「ティーアンドイーソフト―名作ゲームを振り返る―」展を開催しました。非常に貴重なPC-6001用の「リアルゴルフゲーム」の初期版の黒い箱パッケージなど、協会メンバーが所蔵しているT&Eソフト作品のパッケージが数多く展示されました。
また内藤さん、ボマーンさん、KAJAさんのご厚意で、現在制作中のゲームであります「New CITY HERO」をプレイアブルデモとして展示させていただきました。「New CITY HERO」はPC-8001mk2+PCG8200が推奨環境という、今日では動作環境を用意することが非常に難しいものでしたが、こちらは「80mk2会」の有志の方々に機材の準備をいただき、多くの方にプレイしていただくことが出来ました。
14時から小休憩を挟んでの3時間、ゲーム保存協会特別講演「伝説のゲームクリエイターに聞く」シリーズ第3弾の講演を開始しました。
講演には100名収容できる会議室を用意させていただきましたが、事前の予約で満席となる盛況ぶりでした。
これまでの内藤さんの講演やインタビューはハイドライドやT&Eソフト在籍中を中心としたものが多い印象でありましたが、今回はアマチュア時代から現在のお仕事まで、余す所なくお話いただける形で資料を準備して望みました。
まずは高校生時代。当時からゲーマーでゲームセンターに入り浸っていたようですが、電卓競技会で優勝するなど、活発な高校生活を過ごされていたようです。
当初ナイコン族でマイコンショップへ足を運んでMZ-80Kで作品を作られていたというお話。プレイしていたアーケードゲームを目移植し、その時からすでにマシン語バイナリをいきなり入力していたということです。当時から人間じゃないです。
PC-8001を入手後は数々の作品を作られ、工学社のI/O誌へ掲載された作品や第1回アスキーソフトウェアコンテストの入賞作品などのことも伺いました。
そして20才の誕生日前日にT&Eソフトへ入社。突然PC-8801担当に任命され、四角い豆腐を動かすのに1週間ぐらい掛かったということでしたが、あっという間に「コスモミューター」を一人で作成してしまうという凄いお話。
代表作「ハイドライド」シリーズも裏話や苦労話をお話しいただきました。初代ハイドライドは2年間もランキングに登場しつづけるというロングヒットで「大乱闘スマッシュブラザーズ」に抜かれるまで日本記録だったということです。ロングヒットであるとは知っていましたが、そこまでのものとは今回初めてわかりました。
また当時ライバルとして雑誌で取り上げられることの多かった元日本ファルコムの木屋さんとの関係についてお伺いしたところ、「強敵」と書いて「友」と読む関係とのお答え。やはり意識されていたようです。
MSXでの開発やクリスタルソフトとの合併、コンシューマーでの海外ローカライズ作品とそれにまつわるお話も非常に興味深いものでした。
「ライズオブザロボッツ」開発でイギリスを訪れたときのお話は爆笑です。迎えに来てくれた女性の運転の話し、プログラマーがドラムを叩いていたこと、などなど。
そしてT&E時代最後の作品となった「ヴァーチャルハイドライド」。実写撮影の苦労や王女役の方のこと、バラリスや主人公のダメージ時、ゾンビなどの音声は実は内藤さんご本人だということなど、知らないことだらけでした。開発には非常に苦労されたようで、開発終了後に潰瘍性大腸炎になってしまったとのこと。私が本当に好きな作品なので、ここで多めに時間を取ってしまい反省しています。
ヴァーチャルハイドライドの後はT&Eソフトから独立、起業されたEOイマジネーションでのお話をお伺いしました。出世によって開発現場への関わりが薄くなっていったことが独立の理由ということですが、社長としての苦労は想像以上であったようです。
PCエンジン開発環境キット「でべろ」や「GAME BASIC for SEGASATURN」で開発された、雑誌掲載のサンプルゲームについてお伺いしました。
ゲームを作成しプログラム解説記事を書いたにもかかわらずギャラを貰ってないというお話でした。あれだけ詳細な解説があってノーギャラは辛いですね。
EOイマジネーションは「アサンシア~魔杖の呪縛~」「ドラゴンマネー」といった作品を発表した後にクローズし、縁あってコンピューター総合学園HAL名古屋校の教師となられたというお話も。
当時の生徒だった方より人気の教師だったと伺っておりましたが、ゲーム開発から社長まで努めた経験は多くの方へ良い指導となっていたと思います。
一方で、お仕事はかなりの激務であったようで、朝6時から帰宅は24時という日々だったそうです。
教師として4年半勤めた後は株式会社ディープに入社され、ゴルフゲームやゴルフシミュレーターの制作に携わったというお話もしていただきました。
それまでゴルフは嫌いだったようですが、シミュレーター制作のためにプレイしてみたところからゴルフに目覚め、現在のベストスコアは90だそうです。
BINGO BREAK ONLINEなどのオンラインゲーム開発の後、会社はスパイクソフトの開発部へ移行したため、内藤さんも所属が変更し、巻き込まれる形で履歴書が長くなっていったとのこと。
当日、この講演会の会場にも駆けつけてくださったスパイク・チュンソフト取締役会長の中村光一さんとはそれまで面識がなく、忘年会で初めてお会いしたということでした。内藤さんにとって中村光一さんは雲の上の存在であったということです。
コンシューマーゲームへの復帰となった「不思議のダンジョン 風来のシレン4plus 神の眼と悪魔のヘソ」開発の苦労をお話いただきました。Twitter連携はこのゲームが走りであったということで、いつも人より早いという内藤さん。こういう先見の明はご顕在です。
2014年からはM2に移籍され、このときの経緯などもお伺いしました。面接に訪問した際、ハイドライド作成のときの話をしていたら採用されたということ。やっぱりレジェンドです。
移籍後はWiiUのバーチャルコンソール ゲームボーイアドバンス タイトル開発ディレクターを務められ、そしてPS4/3/steam「恋姫†演武」 開発ディレクターで苦労されたお話は、会場にいらっしゃったM2社長の堀井さんからもお答えをいただいたりしつつ裏話をしていただきました。M2はスーパープログラマーが揃っていることで有名ですが、その中でも本当にスーパーな方がいらっしゃいます。
最後に、今回プレイアブルデモ展示させて頂いた「New CITY HERO」のお話をお聞きしました。
もう1〜2ヶ月で完成のようですが、どの様に公開できるか検討中ということでした。本当に凄い作品なので日の目を見ることを期待しております。
また思いがけない発表として、次回作はP6でハイドライド2(のようなもの)を作ると宣言されました。こちらも期待です。(その次も決まっていて、ぴ…)
最後に現役でゲーム開発に携わっておられる内藤さんに「内藤さんにとってのゲーム制作とは?」とお伺いしたところ、「人生かな。目と指が動く限りは80才、90才の妖怪になってもゲームを作ります」という嬉しいお言葉をいただき、終了となりました。内藤さんの温かいお人柄もあって、終始笑いの絶えないトークで講演を終了させていただくことが出来ました。
終了後は会場を移動して、サポーターの方々と懇親会。
理事長ルドンの乾杯の声でスタートです。
こちらも多くの方がご参加くださり、これからのNPOの活動につながるようなお話をさせていただくこともでき、NPOとしても日頃ご支援くださっている皆さまと交流を深めることが出来ました。
内藤さんはお酒も入って、講演会では話し難かったようなこともポロポロと。
気づけばすっかり日も暮れて、すこし涼しくなったあたりで解散となりました。
今回のイベントにご来場、ご参加くださった多くの方々へ感謝いたします。
また、動体展示のためにお力添えくださいました「80mk2 会」の皆さまには、改めまして深く御礼申し上げます。
ゲーム保存協会はこれからもゲーム保存活動や研究のみならず、講演などを通じてゲームの歴史を掘り起こし、伝えていく活動も精力的に開催させていただきたいと考えております。こうした取り組みはサポーターの皆さまからのご支援により実現するものです。日頃ゲーム保存協会の活動にご支援ご協力いただいている皆さまに、協会員一同、深く感謝いたします。そして、これからもこうした活動を継続できるよう、真摯に取り組んでまいります。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。