A.E.
COMPTIQより1984年4月に発売
同じ海外の移植でも
システムソフトとブローダーバンド社の提携により、生まれた日本版の「ロードランナー」や「チョップリフター」。これらの移植の完成度は高く、移植するゲーム自体の選択もよかった。だからこそ日本でも大ヒットしたのだ。しかし同じ移植でも選択と技術と時代が伴わなければダメだということを身をもって証明した会社があった。
雑誌「コンプティーク」を出版している角川系列の株式会社コンプティークである。1984年にブローダーバンド社やデータソフト社と提携して、アップルの有名ゲームを移植しはじめた。第1弾が「A.E.」、「BUG ATTACK」、「FATHOM40」、「Minor2049er」の4つであった。
A.E.
A.E.はブローダーバンド社のアップルII用ゲームで、幻想的な未来都市の空をエイ(海の中を泳いでいるアレ)が飛びまわり、それを撃つというシューティングゲームである。作者はプログラマーズ・スリーという日本人3人組である(和田淳氏、宝来慎氏など)。エイは編隊を組んだり、単体だったりいろいろと攻撃パターンがある。また、自機のビームはボタンを押すと発射され、離すと爆破するという弾道距離を変えられるようになっている。
実は当初、ブローダーバンド社にこのゲームが持ちこまれた時は、単に撃つだけ(ギャラクシアンのような)のゲームであったのだが、ブローダーバンド社で「ボタンを押すタイミングで敵を倒す」というテクニック重視のゲームに生まれ変わったのであった。
A.E.のおもしろさは何か?エイの豊富な動きのパターンをプレーヤーがいかに読むかというのが1つだろう。エイの動きは複雑だが、弾道距離を変えられるビームをうまく使えば、一発で編隊を撃退できる。この快感はプレーしたものにしかわからない味があるのである。また、エイは背景の特定に部分に見え隠れしたり、大きさが変化したりして、当時としてはかなり凝っていた。背景とのマッチングというのも見ていて面白かった。さらに音楽もなかなかよかった。
このゲーム、こうした理由でアメリカではかなりヒットしたのだ。しかし、それも日本に移植される数年前の話。88に移植されたものは出来が悪かったこともあるが、進化の激しいこの業界での数年はあまりに大きかった。みなアップルの移植ゲームということでかなり期待したが、すでにこのようなゲームは日本でも時代遅れだったのである。エイのスムーズでスピード感あふれる動きは、特にすごさが感じられず、音楽も悪かった。こうして日本人には、「A.E.=クソゲー」の認定が下されてしまったのである。
移植スタッフ
コンプティークの移植プロジェクトの進行は女性3人を中心に行われていたという記事があり、彼女らは会社に入る前は普通のOLだったという。別に彼女らが移植を担当したわけではないだろう(社内に移植をするプログラマーは一人もいない)。移植は理工系の大学生のアルバイト。1つのゲームを30万で請け負っていたという話である。このような脆弱な体制で、アップルゲームという餌を使い、ユーザーをなんとか釣ろうしたコンプティークであったが、数年後にはこの会社の名前は聞かれなくなった。
コンプティークの移植の悪さによって、日本のゲーマーの多くが、「アップルのアクションゲーム=クソゲー」と認知してしまったことは、海の向うの人たちにとっては甚だ迷惑なことだったろう。こんないきさつもあってか、海外の移植ゲームは88全盛期では敬遠され、国内の多くのソフトハウスメーカーが日本独自の路線による秀作ゲームを生み出していったとも言えるだろう。
「A.E.」に関連するすべての画面写真、パッケージ写真の著作権はコンプティークに帰属します。