夢幻の心臓 by 市川氏


クリスタルソフトより1984年3月に発売


ドロイド僧の記録

この世界を<夢幻界>と称する。大いなる神々がこの世をどのように呼んで おられるかは知らず、ただ我の思うところの名をつける。我はこの地に落ち、 自らの罪深きことを知る。我は破戒僧なり。破戒僧たる我が身には、この世は 終わりなき地獄と化す。それゆえ後々の者のため、この書を記す。



このゲームの目的

「地上での闘いに敗れたあなたは、死の間際、神々に呪いの言葉を発した」 これがこのゲーム(夢幻の心臓シリーズ)の全ての始まりである。呪いの言葉 を発してしまった主人公は、天国でも地獄でもない”夢幻界”という世界に落 とされてしまったのである(神様おこった)。  この世界での目的は生き返ることである。30000日以内に夢幻の心臓を 見つけだし、体内にはめ込めば蘇ることが出来るというのだが…。  だが、もし30000日以内に心臓を手に入れることが出来なければ、輪廻 の輪から切り離され、永久に続く苦痛の中に封じ込められてしまうという。


てなわけで夢幻の心臓ってぇ~



このゲームのこの世界設定を今でも新鮮なものに感じる人は少なくないと思 う。特に「~日以内に」というのは今ではないものでしょう。まぁ実際には時 間切れになってゲームオーバーになったプレイヤーはいないと思いますけどね (私もじっくりやっても数千日で終わった)。もし、30000日を越えてし まったプレイヤーの方がいらっしゃいましたら結果を聞いてみたいものです。

 さて、このゲームはどのようなところが良かったのでしょうか?それはまず 挙げるとすれば画面一杯に出てくる(ちょっと誇張あり)敵グラフィックでは なかったのでしょうか。時期としては、日本ファルコムの「ぱのらま島」と近 いあの時代に、この試みは称賛すべきものがありました。とても迫力があり、 またこの世界をイメージし易くすることに一役買っていたのではないでしょう か。

 だがしかし新たな試みには常に壁があるもの。その魅力を1/100くらい にしてしまった現実もありました。そう、あの当時のマシンの描写速度です。 速度という現実を目の前に叩きつけられても尚「これは素晴らしい」と無条件 に手を叩いたプレイヤーが果たしていたのでしょうか?戦闘はこのゲームを終 了するまでに数え切れない程の回数をこなさなくてはいけません。そのプレイ 時間の大半をしめるものがあれでは…。このゲームの少し前に日本ファルコム が瞬間画面表示のゲームを出していたことを考えると、非常につらいとしか言 いようがありませんでした(ちなみに98版は瞬間画面表示なので別)。

 次に私個人がこのゲームの最も素晴らしいと思っているところを挙げます。 それは「世界のバランス」です。どういうことかと言うと、世界の広さ、こな さなければいけないことの量、謎。そういったものが非常に適度で全体のバラ ンスが取れていたと思うのです。例えばマップはバカ広いのに、やることは少 なく又、非常に単調なものであるといったようなことがなかったという点です。 一言でいえば「丁度良い」といったところでしょうか。


”死”というもの

 比較的新しく発売された日本ファルコムの【英雄伝説】は戦闘に「死」と いう概念がありませんでした。HPがゼロになる時、それは「気絶」を意味し たのです(戦闘中に気絶するなんて死と同じだと思うけど)。それ以降、この 気絶というものが戦闘の終わりを示すゲームがいくつか出てました。

 しかし、この【夢幻の心臓】の時代は違います。ウィザードリィの影響を強 く受けていた時代です。死んだらそこでゲームはストップし、タイトル画面に 戻ります。しかもこの時に、なんと自分のキャラクターデータが”消されてい る”のでした。つまり、このゲームの中で死とは本当の終わりを意味したもの だったのです。とはいえウィザードリィと違い、死体の探索隊などいるはずも ありません。果たしてまともにやってクリア出来た人はいたのでしょうか…?


なんかまた出てきた座談会

A:謎の語り屋からて氏

B:謎のぽっくり屋店員



*プロローグ(どこがだ)

A ぬぅ…またしても俺達か。(*1)

B というか私たちしかいないじゃないですか。

A メンバー求む。ではさらば。アデゥ

B 逃げるなぁ!


*夢幻の心臓の世界

A しかし夢幻の心臓は良いゲームだったぞ。

B そうですね。僕個人の感想でいえばやっぱカッコ良かったですよ。

A またそれかいな。

B いや!重要です。カッコ良いというのは画面や音楽のことではなく、あくまで  イメージの問題なんですよ、この時代のゲームは。だって凄いじゃないですか。お世辞にも細かい描写と言えないあの時代のゲームで、夢幻界のイメージをしっかりと持たせてくれましたから。

A ふむ…たしかにそれはあるな。個人的には2よりも1の方が夢幻界のイメージをしっかりと持ってるぞ。まぁ2では夢幻界なんか出てこなかったけどな。

B ですよねぇ(最後のは聞かなかったことにする)

A ゲームシステム的にはどう思う?俺様なんかは実にシンプルで良く出来ていたと思うんだが。

B 同感です。死んだら終わりってのも緊張感があって良かったと思いますよ。

A でもあの死んだらセーブデータが消えるってのは……。アクションゲームならともかく、あのシステム(*2)じゃほとんど運じゃんか。特に最初の頃ってのは非常に弱いから(*3)どうしても死ぬ確率が高いんだよな。少し強くするにも苦労して、それがちょっとの運であっという間に水の泡。結構ひどいよ。

B でもそれも現実だってそうじゃないですか。結局は運も重要なんだし。僕は好きですね。

A ほぅ~…。じゃお前はリセット技(*4)を使わずにクリアしたのだな…?

B zzzZZZ.....


*世の中「金、金、金」

A しかしこのゲーム、強くなる為に必要だったのは何よりも金だったよな。

B そう、所詮世の中は金…(慢性貧乏)。

A こらこら、現実に戻るな。

B でもありゃないッスよ~。武器を買うのに高い金。能力を得るにも高い金。魔法を覚えるのに高い金。紋章もらうにも高い金を貢いで…。夢も希望もないッスよ。あれじゃハイドライド2とおんなじだー(問題発言)。

A ちょ、ちょっと待て。じゃあなんだ。お前は通りすがりの相手をブッ殺して金を奪う方が夢があると…?

B あ、いや。そういうことじゃなしに…。あれはもうちょっと他に何かアイデアがなかったのかなぁ~って。例えば経験値が上がると芸を覚えていって、それを商人なり魔術師に見せるとそれに見合った物が貰えるとか…。ほら、そうすれば段階に応じた物が無理なく手に入るじゃないですか。ね?

A 俺そんなゲームいらね…。

B (涙)。


*でもって最後に。

A そーいえばこのゲームの富さんって…たしかメガドラ以来人気を誇ってる「ルナ」の人なんだよな。この間はじめて知ったけど。

B ええ……なんか似ても似つきませんね。

A まぁファルコムから出た「スタートレーダー」よりはマシだけどな。あのゲームもこの人が入ってたからなぁ。

B きっと挑戦心の旺盛な人なんですよ!素敵です、男を感じますよ!

A 僕もあなたにホモを感じます!

B ……しくしく。

A とりあえず最後のシメ。今では良質なエミュレーターも存在していることだし、昔に返ってもう一度みんなにやって欲しいとこだな。

B いや!やっぱ僕としてはリバイバル版を出して欲しいですね。あのゲームがWINDOWSで、更にカッコ良くなったら僕は興奮して原宿で鼻血だしながらムーンウォークしちゃいますよ!

A クリスタルソフト自体もう無いって。それに…。

B それに?

A お前みたいな変態とはもう二度とコンビ組みたくない。

B (涙)


*1 「ザナドゥ」の座談会に登場した二人組。

*2 いわゆるドラクエタイプ。

*3 はっきり言って「農民」くらいにしか立ち向かえない。元兵士のくせに。

*4 死んだ直後、つまりはセーブデータを消す命令が働く前にリセットボタンを押してしまう。こうすれば死んでもキャラは消えない。

文章:KARATE氏




おまけ

夢幻の心臓について少し補足。夢幻の心臓の発売は84年3月だが、開発はその1年半くらい前からはじめられていたという。つまり82年後半あたりということであろう(まぁ開発といってもほとんどは構想を含めてのことであろうが)。この時代、日本はまだロールプレイングゲームの黎明記であり、ようやくポツポツとロールプレイングゲームという名前のついたものが発売されはじめたころである。このころのロールプレイングゲームは、ほとんど「ウィザードリィ」「ウルティマ」の影響を受けているものか、単なるアドベンチャーゲームに数値や別要素が入って、それを「ロールプレイング」と勝手に呼んでいるものか、大別して2つであった。夢幻の心臓はアイデア全般を「ウルティマ」から拝借していると思われる。ただ、モンスターのグラフィックは他にない"美しさ"をもっていた(いちいちクリスタルソフトのマークをペイントするのはちょっと問題だったが)。この中間色を使用したモンスターデータは相当入力が大変だったようだ。さらにペイントルーチンまで開発したという。ただ、日本人になじみの薄い西洋のモンスターを視覚化したのは十分効果があり、このゲームはその美しさだけで十分に売れてしまった。プログラムはほとんどベーシックで書かれているため、速度はかなり遅い。ただしこれは次回作「ファンタジアン」「夢幻の心臓II」で十分に改良されており、クリスタルソフトのロールプレイングゲームへの意気込みを感じることができる。



おまけ2 作った人・富一成

「夢幻の心臓」を制作したのは、クリスタルソフトの富一成(とみかずなり)氏。生まれも育ちも大阪の彼は、大阪電気通信大学の付属高校に入学。そしてアマチュア無線などに興味を示し始める。パソコンにはじめて触ったのは、高校1年生のときだそうだ。そのときに購入したのがシャープのMZ-80Kであった。当時インベーダーゲームがまだ流行していた頃で、彼はMZをいろいろといじくっていたのだが、いまひとつMZには能力がなく、しばらくすると飽きてしまったという。
ただ、プログラムは少しずつは組んでいたようで、テキストを読みながら入力していくうちに、一応なんでもBASICで組めるようになっていたという。ただし、BASICはスピードが遅いのが不満だった。高校でBASICの実習があったときは、プログラムは分かっていたので、最初の10分ぐらいで課題をこなし、あとはダラーっとしていたなどというエピソードもある。
その後、近畿大学の原子炉工学科に入学した富氏は、アルバイトを探しているうちに、運命の会社と出会う。そう、クリスタルソフトである。クリスタルソフトでアルバイトを始めたときに、いままで知らなかったマシン語やコンパイラの存在を知ることになった。高校生の頃は、パソコンはBASICで動くと思っていた彼は、コンパイラやマシン語で、リアルタイムのゲームがどんどん速くなるということに気づき、ぐんぐん面白さに惹かれていったという。ちょうどクリスタルソフトに行き出した頃、そこにMZ-80Bが余っており、それとハドソンから出ていた「FORM」というコンパイラがあった。それにさわっているうちに、ある程度いい加減に組んだプログラムでも、コンパイラがあるからとても速くなり、このスピードならなんでもできるという快感にはり、大学3,4年生のころは、ほとんどクリスタルソフトに入り浸りで家にも帰らないという日々が続いたという。
大学時代の後半をほとんどクリスタルソフトで過ごした富氏は、ゲームを作る仕事に魅力を感じ、またサラリーマンになるのも嫌だったために、そのままクリスタルソフトに入社してしまった。しかし、アマチュアと違い、プロの道は険しく、最初は何本もボツプログラムがあったそうである。最初に作ったのは、「ザ・ドラキュラ」という神父が覆面をかぶってドラキュラをやっつけるというアーケードゲームを真似て作ったものだった。神父がブーメランを投げる代わりに、忍者が手裏剣を投げるというもの。しかし、当然ボツ。このあとも数本のプログラムを作るがボツになっていった。当時、クリスタルソフトにいろいろな地方からプログラムが送られてきており、高校生の作ったゲームが合格になるのに、自分のプログラムは不合格になるという屈辱を何度も味わったという。
実は富氏のゲームが初めてパッケージ化されたのは、大学3年のときに制作した「高速機動部隊」(88には後に移植された)というウォーゲームであった。このゲームは、ロボット同士がそれぞれ基地を持って戦うという内容である。その後に制作したのが、「聖なる剣」。テキストアドベンチャーゲームで、地下に閉じ込められたお姫様を助けるというファンタジーを舞台にしたものであった。これは「夢幻の心臓」の先駆けのようなものであった。
その後、たまたま勉強のために購入したアップルで、「ウィザードリィ」「ウルティマIII」といったゲームを体験した富氏は、「これはスゴイ」と思ったそうである。そして彼の大好きなヒロイックファンタジーをなんとかゲームの中に入れたいというのが、「夢幻の心臓」制作の始まりであった。1度死んだ戦士が活躍するという設定はヒロイックファンタジーから拝借したものだ。1983年の6月頃にゲームの構想を始め出したが、最初の3ヶ月は思考錯誤の連続だったという。そして9月くらいからはプログラムを組み始めたが、グラフィックに関してはどうしても1人ではできないということで、友人にグラフィック関係を頼んだりしたらしい。納期1ヶ月遅れの1984年2月に、なんとか完成した。富氏が語る「夢幻の心臓」の自慢点は、怪物の数とグラフィックの多さ、そして操作性であった。

富氏はこのあと同社から「夢幻の心臓II」という名作を発表。その後、日本ファルコムに移籍し、「スタートレーダー」などのプログラムを担当する、PC88史上でもけっして忘れることは出来ないプログラマーの1人となったのである。

テクノポリス84年12月号より一部引用
富氏の写真:テクノポリス84年12月号より引用
「夢幻の心臓」に関連するすべての画面写真、パッケージ写真の著作権はクリスタルソフトに帰属します。