PSY-O-BLADE
T&ESOFTより1988年11月に発売
プロローグ
21世紀後半、人類の夢を乗せた恒星間有人探査機「セプテミウス2」は、太陽系から6光年離れた、へびつかい座バーナード星に向かって飛び立った。そして2101年、無事2人の乗組員がバーナード星に着陸し、人類はついに太陽系外の地に降り立ったのである。ところが、その帰途において、メイン・コンピュータ「ラクーン」の不可解なメッセージを最後に通信が途絶え、あろうことか「セプテミウス2」は、予定の航路を徐々に外れていった・・。2人の安否が気遣われる中、宇宙省は8名のスタッフを乗せた救命艇「キャサワリー」を派遣。ときを同じくして、地上では、「ラクーン」の設計者であるニューロコンピュータの最高権威、シュルツ博士が消息をたってしまった。博士救出のため、情報局工作員のヒューイ・マークフィールドは、特殊潜航艇で一人サウスハチュット島へ向かった・・。(マニュアルより抜粋)
ゲームの特徴
「アニメーション」。88のユーザーたちは皆この言葉にあこがれていたと思う。テレビアニメを見るように画面が動いたらどんなにすごいゲームが出来るのだろう。だから、ちょっとでも絵が動くと我々は常に大騒ぎをした。98版の「セイバー」が発売されたとき、88ユーザーたちは唇を噛んで悔しがった。「Will」、「アルファ」、「ブラスティ」のアニメーションに我々は驚いた。「イースII」のリリアが振り向くシーンを何度も何度も見た。
そんなあこがれだったアニメーション。「サイオブレード」のゲームのウリは、その「アニメーション」そのものだった。常に場面のどこかがアニメーションしているという。88ユーザーの期待は大いに高まった。
実際にゲームを購入してみると、確かにすべての画面で何らかのアニメーションをしていた。動いている。すごいと感じた。しかし、これが筆者が求めていた美しいアニメーションかと言われると、ぎこちないものが数多く存在していた。
サイオブレードのアニメーションには大きく分けて2つある。1つは画面中のキャラクター(背景)が書き換わるもの。かなり大きな部分がアニメーションしていた。しかし、途中にディスクアクセスを挟むものが多く、アニメーションの途中でちょっとであるが停止してしまう。もう1つは、ただパレットの色を変えるだけのもの。これは色がピカピカ光るような効果で、実際これがアニメーションか? と聞かれると返答に迷う。このようなものを含めて当時はアニメーションと宣伝していた。さすがにこのような効果では物足りない感じがした。
確かに88ユーザーたちは、「サイオブレード」のようなアニメーションするゲームを歓迎し、うれしさも感じた。しかし一方で、このゲームを解いた後には、なぜか充分な満足が得られなかったのである。
ゲームの方は、宇宙編と地上編に分かれている。宇宙編からゲームはスタートし、プレーヤーは「キース・マクダネル」という青年に扮することになる。キャサワリーの乗り組み員となって、セプテミウスの調査を行う。サイオブレードでのコマンドの選択方法は、マウスカーソルをテンキー(マウスを接続していればマウスで操作が可能)で動かし、必要なところで[Z]キーを押すというものだ。キーを押すとコマンドが表示されて行動が選択できる。マウスを接続していれば、確かに操作性という点では抜群だったろう。しかしこの当時、88でマウスを接続していた人がどれほどいただろうか?たしかに先進性はあるように感じられた。でもユーザーのマウス所有率を考えればこの方式は面倒なことこの上ない。このあたりはもう少し工夫して欲しかったところだ。
宇宙編でキース(プレイヤー)はセプテミウス2号を調査し、その謎を解明していくになるのだが、それと同時に地球での行動も展開される。それが地上編である。
また宇宙編の途中でメモリモジュールなる音声装置での音当てクイズがあった。メモリモジュールは、製品本体に添付しており、ボタンを押すと8つの曲が順番に流れるようになっている。メインコンピュータ「ラクーン」にアクセスするためのパスワードが、その曲名になっているというなんとも強引な展開である。しかし、これはどうみてもコピー防止のためのハードウェアプロテクトとしか思えなかった。ただし、メモリモジュールをもっていなくても、15分ぐらい「1,2,3」と適当に回答を入力していけばいつか当たるというオチはあったのであるが・・。
地上編は、宇宙編と交互に展開される。地上編の主人公は軍の工作部隊である「ヒューイ・マークフィールド」である。彼はセプテミウス2のメインコンピュータ「ラクーン」の設計者であるブルーノ博士を、無事にサウスハチェット島の基地から救出することが目的である。しかし、地上編は宇宙編に比べてかなり難しいトリックが仕掛けられており、失敗するとゲームオーバーになることも多数ある。
地上編開始後、いきなり敵に捕まってしまうヒューイは、まず牢から脱出しなければならない。このシーンは同社の「惑星メフィウス」の牢獄シーンのセルフパロディであると感じた。この牢獄を抜けるときに、外にある車のナンバーを見ておかないと、あとではまってしまう(筆者はここでしばらくつまづいてしまった)。
その後、このゲーム最大の難関がやってくる。それは研究所を探索して博士を探す「恐怖の3D迷路」である。この場面だけはリアルタイムゲームとなる。迷路にはあらかじめ敵兵士が配置されており、こちらも銃やバズーカで応戦しなければならない。このときにマウスがないと武器の持ち替えや、敵に照準を合わせるのに非常に苦労することになる。しかも、こちらの体力と弾薬の数は決まっており、効率よく戦わないと途中であっけなく死んでしまう。さらに、研究所のくせして、ものすごい迷路である。こんな研究所は存在するのだろうか。
これが研究所だ! なんの研究してるの、ここ?
サイオブレードの音楽はなかなかよく出来ている。特に、FM音源によるチョッパーベースが聴き所である。オープニング曲にはチョッパーベースだけのソロが間奏として入っている。また、研究所のシーンの音楽、最後のシーンの音楽などはこのチョッパーベースが非常に効果的に使われている。FM音源のチョッパーというと、古代祐三氏が「ザ・スキーム」でFM音源によるものを制作したが、その後、セガがアーケードゲームで「ギャラクシーフォース」で物凄いチョッパーベースの音を聴かせた。しかし、このチョッパーはPCMで鳴らしていたというオチである。その後、古代氏もチョッパーベースの音を開発したようだが、サイオブレードの音は実に独特で、「FM1音でどこまでチョッパーを鳴らせるか?」という音屋さんの追求が見事に現れたものだと思う。サイオブレードの88版の名曲は、残念なからCD化されていない。ゲームでプレーするしか聞く方法がないのが残念である。
「アニメーションするというのは確かにうれしかった。ただ、何か満足が得られなかった。」ということを最初に書いた。どうして満足が得られなかったのだろう?
88には、現在のマシンのような動画を再生するだけのCPUの速さがなかったし、メモリもディスク容量も技術もなかった。だからアニメーションするというのはこの時期では大きなウリとなった。しかし、すべての場面でアニメーションをしても、けっしてゲームは楽しくならなかった。
考えて見ると、このゲームがユーザーから高い評価を得ずに終わってしまったという事実により、アドベンチャーゲームで最も大切なことはすでにはっきりしていたのだと思う。どんなに視覚的に革新を遂げても、根底にあるのはユーザーを魅了するシナリオである。これをなくしては、どんなに動画が美しくなっても、ポリゴンを使っても、完成度の高いアドベンチャーゲームは作れないということだ。
サイオブレードと同時期に発売されたもう1つのアドベンチャーゲームがあった。非常に完成度が高いと評価を得たコナミの「スナッチャー」である。どちらも近未来を舞台にしたもので、ストーリーは違えど88ユーザーは「スナッチャー」を買うか「サイオブレード」を買うか迷った。筆者はどちらのゲームもプレーできる機会があったが、サイオブレードはアニメーションというウリがあったものの、「ジーザス」から主流となったシナリオ重視型のアドベンチャーゲームとしては、「スナッチャー」に遠く及ばなかったと思う。筆者がサイオブレードを解き終わったときに感じたことは、「ゲームは解き終えだが、なんだったのだろう?」というものだった。なにか釈然としない、ただ時間を潰したような感覚だった。サイオブレードは、最も肝心なドクターの存在理由などの説明を入れ忘れたという話を聞いたことがある。これもユーザーに消化不良を起こさせた原因の1つではないかと思う。それに比べて「スナッチャー」のシナリオと演出はまことに見事であった。
苦言を呈してばかりだが、筆者は「サイオブレード」が嫌いではない。実は大好きである。いかにも当時の88らしいアドベンチャーゲームだと思うのだ。けっしてすごい完成度を誇るわけでもない。ちょっと陳腐でもあるストーリー、演出でなんとかユーザーの気を惹こうとがんばっていた。そんな埋もれたゲームが88にはたくさんある。そんなゲームたちをいまでもたまに起動してみると、とても心が休まり、暖かささえ感じるのはとても不思議である。
「サイオブレード」に関連するすべての画面写真、パッケージ写真の著作権はT&E SOFTに帰属します。