Seed-種をまいた人-
インタビュー

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愛妻 川島なおみですね、わかりました(笑) その頃の、私がパソコンを知ったのっていうのが、『ゲームセンターあらし』が好きだったんですよ。あの頃好きだった人は、結構多いと思うんですけど。

ピョン太 そうだね。そう言う人、結構居るよね。

愛妻 たまたま、『こんにちはマイコン』が置いてあったんですよ。で、ただ『あらし』が出ているっていうだけで買ったんですよ。しかも中を見ても全然わからない。ただ、小学校5,6年だと思うんですけど、読んだら自分でゲームが作れるって書いてあるんですよ。後ろの方を見たら、「こんなにゲームがある!」って、リストに書いてあるし。「うわー、メチャクチャパソコンが欲しい!」と思ったんです。だけど小学生でしたから全然お金がないし、高くて買って貰えるような品物じゃないので、とても手が届かない商品だったんですよ。

ピョン太 うん。高校生のオレもそうだったから(笑) でも、すがやみつるさんって、その頃からそうやって方向が変わっていったんだよね。

愛妻 私は、すがやさんの本を見て、方向が変わってしまいましたね(笑)

ピョン太 人生の(笑)

愛妻 人生が変わりましたね(笑) で、中学に入ったら、パソコンを持っている奴が居まして。そいつがFM-7を買って持っているっていうのを聞いて、もう毎日通いました。

ピョン太 あ~ありがちですね(笑)

愛妻 そうですね(笑)

ピョン太 そうだよね。みんながみんな持っているというか、誰かが持っていて、共有するという感じだよね。もしくはさっき言ったように、お店に行って。お店のマイコンにプログラムを打っている奴とか居たもんね(笑)

愛妻 居ました、居ました(笑) ラジ館(ラジオ会館の略。秋葉原の駅前にあり、昔からパソコンを置いていたので、パソコンユーザーにとっては重要なポイントとなっていた。)の上にあるビットインに行って、新製品が出る度に「いいな~」て見ていましたよ。で、「しゃべる~」とか言いながら打っていましたし(笑)

ピョン太 じゃあ、同じ時期にウロウロしていたね(笑)

愛妻 毎週のように秋葉原に行っていましたから。

ピョン太 オレもそうだね。行かない週は無かった。

愛妻 FM-7を持っている奴が、電車賃も出してくれたので(笑)

ピョン太 凄いね(笑)

愛妻 欲しいゲームがあるとねだりましたし(笑)

ピョン太 (笑) オレは、要するにゲームが出るまでは貧乏だったから。MZを買ったけどMZじゃダメだと思って、丁度バイトしながら6001をフルセットで買って。それは仕事でするつもりだったから。

愛妻 じゃあ、拡張ROMと。

ピョン太 ROM、RAMカートリッジと、フロッピーディスクと。

愛妻 60のですか!?

ピョン太 そう。凄い貴重でしょ(笑)

愛妻 貴重じゃないですか!

ピョン太 それから、タブレットみたいのがあったでしょ? 

愛妻 あの、凄くでかいやつですよね。

ピョン太 でかい。後は専用モニターと、プリンターだけGP-80っていうNECのじゃなくて。

愛妻 スターですか?

ピョン太 いや、昔のエプソンのが売っていたのを買って。そのシステムでゲームを作り始めて。もう、それはバイトしながら。儲かったらバイト辞めようと思ったら、バイトしながらやっている2ヶ月後にはもう製品になって、それでバイト辞めちゃって。バイト辞めてから印税が入ってくるまでの時間が凄い空いてて、そんときにアキバに行きたくてね。家は小岩なんだけど、小岩から自転車で行っていたの(笑)

愛妻 あー、気持ちわかります(笑)

ピョン太 アスキーとか、普通の本屋とかよりも早くて。

愛妻 そう、早かったんですよね。

ピョン太 そう。それでも買いに行きたくてしょうがなくて。それくらいハマっていたね(笑)

愛妻 あー、わかります、わかります(笑)

ピョン太 (爆笑)

愛妻 すっごい、もう早く読みたくて。

ピョン太 そう。

愛妻 1日とか、2日とか早いんですよね。あの、駅ビルの中にある本屋とか、橋の下にある汚いところなんですけど。

ピョン太 そう、その2つ(笑)

愛妻 ははは(笑)

ピョン太 わかる、わかる(笑) ラジオデパートの2階の本屋か、あと、なんて言うんだっけ、あそこ。マイコンセンター・・・マイコンじゃない。ラジオセンターか。あの下のパーツ屋さんの所の一角に本屋があるんだよね。

愛妻 そうです、そうです(笑) みんな集まるんですかね、そういう所に(笑)

ピョン太 そこが一番早かったから。だって当時、ログインに入ってから、アキバの記事を書くって取材に行ったときに、「昔は西君とか来たのに、最近は来ませんね」って(笑)

愛妻 (爆笑)

ピョン太 そういう嫌みを言われたぐらいだから(爆笑)

愛妻 (大爆笑) あの頃、発売とかが決まっていないから、早く情報が欲しかったんですよね。

ピョン太 だから情報っていうのは、完全にユーザーの間だけだったんだよね。当時はインターネットが身近かには無かったし。その集まる場所に行かないと、情報は手に入らなかったんだよね。一般書として売れていた本も少なかったしね。だからそういうところで得る情報っていうのが、凄い大事だったんだよね。それに全部の情報を把握できるぐらいの情報量しかなかったし。

愛妻 今は凄いことになっていますけどね。

ピョン太 自分では最初、MZを持っていたけど、当時PC派とMZ派が居てね。8001とMZという派閥があって、お互い相手が何をやっているっていうのがわかるぐらい狭かったからね。それはもう、その頃秋葉原に行っている人ならば、誰でも共感できるんじゃないかな(笑)

愛妻 わかります(笑) だからMZ持っている人でも、80とかの情報に詳しいんですよね。どっか勝てる部分は無いかって思って(笑)

ピョン太 どこが有利かって、不利かってわかっている(笑)

愛妻 そういうのが楽しかった時期なんですよね。

ピョン太 そうそう(笑)

愛妻 あっと。話を戻します(笑) えーと、それで『スパイ大作戦』まで出されて。いっぱいお金が入って。で、その後に『幻魔大戦』ですか?

ピョン太 そこら辺から、オレの天下だよ(笑) 『幻魔大戦』、『南極物語』ときて。それはポニーの方から「作ってくれ」という依頼を受けたんだ。

愛妻 『南極物語』って、映画でしたよね。あれのプログラムも高橋さんが組んだんですか?

ピョン太 ポニーキャニオンって、市販のビデオが売れ初めてて順調だったのね。そういう版権の大きい物がどんどん入ってくるようになって。フジサンケイグループってそういうのが得意でしょ。ちょうど『幻魔大戦』と『南極物語』の封切りに合わせて、コンピュータの方も出さないかっていう話でオレの所に来たのね。だからタイトルのスケジュールに合わせるために企画も始めたんだけど、企画して商品になるまで3ヶ月無かった。

愛妻 そんなに短い開発だったんですか!?

ピョン太 そう。その間に全機種をオレが1人でやったっていう(笑)

愛妻 うわ~(笑)

ピョン太 無茶なスケジュールなんで(笑)

愛妻 と言うことは、1機種あたり1,2週間って事ですよね?

ピョン太 そう。ベーシックプラスゲーム画面の表示ルーチンがマシン語みたいな感じ。で、シナリオなんて考える余裕なんて無くて。もちろん、絵も自分でやるし。全てが1人だからね。そりゃあムチャだよね(笑)

愛妻 ははは、そりゃムチャですよね(笑)

ピョン太 面白くなりようがないよね(笑)

愛妻 ははは(爆笑)

ピョン太 そうそう言い訳をよくするんだけど(笑)

愛妻 ははは(笑)

ピョン太 凄かったね(笑) 6機種か7機種のマシンを3ヶ月で全部出して。オレもそんなにつまらないゲームを出しても、儲からないと思ったし。

愛妻 あの頃は出したモン勝ちっていうのがありましたからね。

ピョン太 そうそうそう。そういうノリ。しかも企画でタイアップだから、タイトルだけで売れるよね。

愛妻 そうですよね、有名でしたからね、最初っから。

ピョン太 でも笑い話があって。オレは『幻魔大戦』は凄い恥ずかしい作品なんだけど、今の青柳ういろうはユーザーの頃、それで遊んで「面白かった」って(笑)

愛妻 ははは(笑)

ピョン太 だから席を並べて、一緒に仕事をするとは思わなかったみたい。

愛妻 なるほど。

ピョン太 しかもあいつが買ったのは8001バージョンで。8001はグラフィックが出ないんだ。

愛妻 あ~。

ピョン太 まあ簡易グラフィックは出るけども、詳細な画面は出ないんだ。だから絵が出なかったAVGなんですよ。

愛妻 テキストAVGだったんですか(笑)

ピョン太 そうそう。で、箱の裏に「8001は絵の無い分、シナリオがより面白い」って。で、勘違いして(笑)

愛妻 (爆笑) 変わっていたんですか、シナリオ?

ピョン太 ちょっとだけね。ほんのちょっとだけ。それをやっていて喜んでいたのが、今のログインの編集長なんですね(笑)

愛妻 ははは(笑)
 
 

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