光栄/KOEI
川中島の合戦(82年,3)
投資ゲーム(82年,3)
北海道戦争(82年,3)
地底探検(82年,3)
コンバット(82年,4)
迷路脱出(82年,5)
ノルマンディー上陸作戦(82年,5)
ダスブート/Dasboot(82年,8)
サンセットインディック(82年,12)
ドラゴン&プリンセス/Dragon&Princess(82年,12)
PlatinaPack5(82年)
Silver Pack2(82年)
Golden Pack2(82年)
Bronz Pack6(82年)
ナイトライフ/NightLife(82年,冬)
空中戦(FM-7)(82年,冬)
クフ王の秘密(83年,5)
信長の野望(83年,5)
連珠(83年,5)
ペナントレース(83年,7)
団地妻の誘惑(83年,7)
ホイホイ/HoiHoi(83年,8)
剣と魔法(83年,8)
銀河戦略(83年,10)
アドベンチャーパック:コンピュータジャック・山手線アドベンチャー(83年,10)
シミュレーションパック:レストラン経営ゲーム・ルンガ沖海戦(83年,10)
ダンジョン/Dungeon(83年,12)
コンストラクション/CONSTRUCTION(84年,1)
トップマネージメント/TopManagment(84年,2)
アルデンヌの戦い(84年,2)
コンストラクションコンテスト/CONSTRUCTION CONTEST(84年,7)
コリドール/廻廊/Corridor(84年,11)
ジャイラス/JAILOUS(84年,11)
オランダ妻は電気ウナギの夢みるか(84年,12)
クリス愛の旅立ち(84年,12)(PC-6001)
クッキンカレー(PC-6001)
60コイコイ(PC-6001)
マイロリータ/My Lolita(85年,3)
ローリングペーパーズ/Roling Paper(85年,3)
アクシオム/Axicom(85年,6)
蒼き狼と白き雌鹿(85年,7)
タイムエンパイヤ/Time Empire(85年,10)
三国志(85年,12)
抄本三国志(86年,5)
信長の野望全国版(86年,12)
三国志SR版(87年,4)
蒼き狼と白き雌鹿(88年,1)
信長の野望 戦国群雄伝(88年,12)
水滸伝 天命の誓い(89年,3)
維新の嵐(89年,4)
三国志2(89年,12)
大航海時代(90年,5)
ランペルール(90年,7)
提督の決断(90年,11)
信長の野望・武将風雲録(90年,12)
伊忍道(91年,7)
ロイヤルブラッド(91年,9)
ヨーロッパ戦線(91年,12)
蒼き狼と白き牝鹿 元朝秘史(92年,7)
1978年7月に染料、工業薬品の卸売の問屋として栃木県の足利市で設立した。設立の1年前(社長の襟川氏が大学を卒業したころ)、社長の襟川氏の父親が経営していた染物問屋が倒産し整理状態。3代目の彼は、父親の会社にいた従業員一人と再出発をした。当時の繊維業界は、東南アジアの進出など国際化の波にもまれて、衰退する傾向にあった。光栄も設立したのはいいが、その日を暮らしていく程度の儲けで、それ以上はとても望めるような状態ではなかった。1980年に入ると、マイコンが徐々に普及し、襟川氏もこれに興味を示したが、20万以上もするマイコンを購入するのは、難しかった。そしてその年の10月26日、誕生日プレゼントとして奥さんの恵子さん(現在の社長)からMZ-80Cをプレゼントされた。奥さんの恵子夫人は、美術大学の出身で、デザイン関係の仕事をしており、この時期、夫の襟川氏よりも稼いでいたという。奥さんの権限は昔から強く、MZを誕生日に購入してもらったことからも分かる。襟川社長は慶応大学の出身で、大学時代に日吉に実家を持つ恵子夫人の家に下宿していたという。2人の出会いはこんなところにあったのだ。
襟川氏は、MZを夜中の1時や2時、遅いときは明け方までいじり、独学でコンピュータを勉強していった。自分の会社の財務管理や在庫管理をプログラムする傍ら、いろいろと情報交換するマニアの輪も広がっていった。そんなマニアの中にある上場会社の課長がおり、「ウチの水質検査のプログラムを作ってみないか?」と誘われ、これが光栄のコンピュータ関連の最初の仕事だったという。こうしてシステム販売の仕事が増え、顧客からもBASICを教えて欲しいというニーズが多くなってきたため、襟川氏はパソコン教室を開き、さらにパソコンショップを奥さんの実家のある日吉にもオープンした。襟川氏がパソコンを手にして半年も満たない間だった。
襟川氏は、システム販売やパソコンショップの仕事をするかたわら、もくもくとゲームを作った。そして1982年に「川中島の合戦」と「投資ゲーム」を完成し、通信販売で販売を開始した。1982年中には、光栄は最初の染料、工業薬品の仕事を、収益があがらないためすべてやめてしまった。
社長は「シブサワコウ」とというペンネームで、初期のシミュレーションゲームや「信長の野望」、そして「ナイトライフ」に代表されるアダルトゲームを次々に指揮をとっていった。「シブサワコウ」は、ログインのインタビューや発表会などにちょこっと顔を出す謎な人物とユーザーからは言われていたが、関係者からみれば、180cm以上もある長身とスタイルからすでにバレしていた(ちなみに「大航海時代」などのフクザワエイジは架空)。社長の経営方針は、シビアでバクチは打たない確実な商売である。光栄の初期は、ロールプレイングの要素をもったゲームや、アダルトソフト、ワープロソフトなどバラエティに富んだものが多かった。つまりどの分野が発展性があり、商売になるのかいろいろと模索していたのだろう。そして「信長の野望」のヒットにより、シミュレーション一本槍のメーカーになっていった。
徳間書店 テクノポリス 86年より一部引用