PC8801音楽の進化


音はどこまで進化したのか?

ゲームの重要な要素の一つに、「音」がある。現在は、CDからオーケストラのような音楽がBGMのように流れ、サンプリングによるリアルな効果音が鳴るのが当たり前の時代となった。88では音楽がどのように進化していったのかを振り返ってみることにしよう。



音の仕組み


まず最初に音が聞える仕組みを先に説明する。音は、物体が振動することで発生する。人間の耳には空気を伝わって届く。音程や音色などは、その振動の仕方、振動回数によって変化し、音量は振動の大きさで変化する。
たとえば、我々がある音を聴いて、「あの楽器の音だ」と判別するのは、音色の違いを聞き分けているからである。音色というのは、もとになる高さの音にどのくらいの倍音(もとの音の何倍かの高さの音)が含まれているか、それが時間的にどのように変化していくかということである。ピアノの音を考えて見よう。ピアノは鍵盤を押すと、ハンマーが弦をたたいて音がでる。最初は弦の揺れ方にムラがあるので、高い倍音がたくさんでるのだが、やがて弦の振動が落ち着いてきてキレイな振動となり、音がだんだん小さくなっていく。だから、ピアノの音の消えかかりというのは、音色はほとんど一定で音量が小さくなっていく、というわけである。

音をコンピュータで鳴らす場合であるが、弦の一番シンプルな形(正弦波)を、ややこしい数式で計算すると実は理論的にはどんな複雑な音色も、正弦波とその倍音の組み合わせで現すことができる。この原理を使ったのが、初期のアナログシンセや、FM音源である。



ビープ音の時代(PC8801,PC8801mkII)

初代のPC-8801またはPC-8801mkIIに使われていた音は「ビープ音」であった。ビープ音というのは、「ピーッ」という音だ。余談だが、昔BASICでプログラムを打ち込んでいた人たちにとっては、「ピーッ」というエラーが出たときの音は心臓によくなかったと思う。ビープ音は「ピーッ」という音をある時間だけ鳴らすことができる音源で、音の大きさも音程も変更することはできなかった。
さてこの「ピーピー」なるだけのビープ音であるが、マシン語などを使用すると音階をつけることができる。これはビープ音を非常に短い時間でオンオフすることによって、実現できるのである。音というのは、空気の振動(波)である(物理の授業のようになってしまうのだが)。高い音はこの振動数が高い(波の間隔が狭い)。低い音は振動数が低い(波の間隔が狭い)。ビープ音を1秒あたり数回ON/OFFすることによって、波の間隔を狭めることができる。これが音の高低に聞こえるというしくみである。
PC8001やPC8801では、CRTC(CRTコントローラー)によるDMA(ダイレクトメモリアクセス)が頻繁にかかっているために、このままでは音が濁ってしまうのだが、DMAを停止させるとそこそこ聞くに耐える音になる。ただし、この間は画面の表示は止まってしまう。

ビープ音による音は「音質が悪い」「あまり広い音域が取れない」という欠点があった。しかし、この音を有効に利用したゲームがあった。それを最初にしたのは、1983年に発売された「ドアドア」だろう。ドアドアは、ゲームスタート時にビープ音による演奏、プレーヤーであるチュン君が歩いているときに、それに合わせてビープ音の音楽が鳴るというものである。初期のゲームでは、キャラクターの動きに合わせて一時的にメインの処理を止めて、短い音符を一瞬出す、という方式をとっており、タイマー割りこみ自体のノウハウがまだあまりなかったために、ゲーム中ずっとビープ音がなっているゲームはなかったが、初期では雑誌にPioに掲載された「PioPio」、後期の「ザナドゥmkII版」などでは、きちんとバックグラウンドで常にBGMが鳴るようになっていた。

ビープ音を限界まで使っていたメーカーとしては、「キャリーラボ」が挙げられる。キャリーラボは古くはMZの時代から、ビープ音を3重和音で鳴らすという技術を開発し、それを88では「F2グランプリ」(写真)「大脱走」などで見せてくれた。ビープ音は1音しか発生しないのに、どうやって3重和音で鳴らすのか疑問にもつ人がいるかもしれないが、仕組みは実は単純で、超高速で3つの音を順番にならしているだけのことである。ただ3重に鳴っているように聞えるためには、8801のスピードを考えるとなかなか難しい。そのあたりのプログラムテクニックを賞賛するべきなのだろう(実際3重和音が鳴っている場面は、タイトルデモなどの処理が必要ない部分に限られている)。

また、ビープ音を使って音声合成を行って、しゃべるソフトも存在した。「ハーベスト」(写真)はたぶんその第1号で、他にも「パラディン」「北斗の拳」、システムハウスオー社のゲームなどはビープ音を使って音声合成している。ビープ音で音声を発生させる仕組みも基本的に音を発生する方法と変わらない。音声も波形であり、その音の電圧変化を一定期間ごとに抽出しして、その電圧を数値に置き換えたものである(サンプリング値を電圧の変化ではなく長さで表現する方法を使っていた。難しいので割愛(筆者もよくわからないため笑))。
PC8801で音を鳴らす方法は、ビープ音だけではなく、マシン語によってカセットのリレーを高速でON/OFFさせるという方法もあった。この音は、ビープ音に比べて低音が出るのとという長所がある反面、音域が極端にせまく、しかもリレーがぶっ壊れる可能性があるということで、88では使用しているソフトはなかった(88にカセットデッキが付属していなかったから当然といえば当然なのだが)。また、ちょっとした改造を恐れない人は、プリンタポートなどの出力信号を増強して、スピーカーにつないで音を出したり、8インチディスクのヘッドのシーク音で音をだすなんていう方法もあったようだが、全く現実的にはないので、もちろんこんなものを使ったゲームは発売されていない。

PC8801mkIIには、拡張音楽命令というものが追加されており、それがCMD SING文というBASICで音をコントロールできるものであったが、対応しているゲームが極端に少なかった。またPC8801mkIIの内蔵スピーカーに、ON/OFFのパルスを高速で送ることで実現しており、ビープ音よりもかなり澄んだ音を出すことができた。



FM音源、PSGの登場

PC8801mkIISRは、OPNというFM音源チップが搭載された。OPNは、PC8801FAが登場するまでの機種すべてに搭載され、PC8801mkIISRは、PC-6001mkIISR、PC-6601SRの次にFM音源を搭載したパソコンであった。OPNは、4オペレータ構成のFM音源部が3ボイス(3音)とSSG音源(PSG)がドッキングしたものである。

PSGというのは、Programmable Sound Generatorの略で、初期ではPC6001やパソピアなどに採用されていた音源である。PC8801ではSSGと称しているが、PSGと同じである。PSG音源は、ビープ音で使われているような矩形波に、音程と、簡単な音の立上りや、余韻の変化(これをエンベロープという)をつけてメロディーを演奏できるようにしたものだ。だから、いかにも機械的な、無機質な音がする。任天堂のファミリーコンピュータは、このタイプの音源しか内蔵していない、といえばその音色のイメージはわくだろう。PSGは電子音3音とノイズ1音を発生することができる。電子音は、無機質だが、澄んだきれいな音で、3音重ねたり、音量をすばやく変化させることによっていろいろな音がでるように見せかけることができる奥が深い音源である。ノイズは爆発などの音に使うことが出来る。PSGが初期から使われたのはアーケードゲームの分野で、1985年前までのゲームはほとんど音楽には、PSGが使われていた。(写真はPSGチップ)


FM音源は、FM方式(Frequency Modulation)により音色の合成を行う音源だ。FM音源は、1983年にヤマハから発売されたDX-7(写真)がその元祖である。当時、革命的なデジタルシンセであった。FM音源の原理は複雑なのでここでは割愛するが、特徴しては非常に澄んだ音が出すことができ、特に金管楽器のきれいな音の感じを表現できたが、そのため多少冷たい、薄っぺらい音になりがちだった。アーケードゲームではアタリの「マーブルマッドネス」で初めて採用された。

日本のアーケードゲームでは、FM音源を使ったゲームが1984年に「影の伝説」や「戦場の狼」でお目見えした。FM音源の特徴は、簡単にいうと音色を自由に変えられるということだろう。FM音源は、PSGよりも生楽器に近い音を合成することができたが、その音色を作成するには、かなりの熟練が必要で、できあがる音色の予測を立てるのも難しかった。また、生楽器に近いといっても、音がこもりやすく、薄っぺらい感じの音になってしまう。ただ、この音源は値段が安かったので、ゲームというそれほど音のゴージャスさが求められない分野においては爆発的に広がりを見せた。 (写真はOPNチップ)

OPNでは、FM音源もPSG音源も、それぞれ3声のパートを、別の音色を使い、別のメロディーで演奏することができた。だから、内蔵音源としてOPNを使っているマシンでは、単音で全部で6パートまで同時に演奏することができる。PSGは音色という面では弱いけれど、これでも立派に3パート演奏することができるため、厚みのあるサウンドを作るときには、これをどう活用するかがカギになった。


PC8801mkIISRが登場し、それと同時に発売された「テグザー」「キュービーパニック」は、このOPNを使用した。特に「テグザー」はこの効果を存分にアピールした。エンディングのベートーベンの「ムーンライトソナタ」のピアノ曲は、我々に感銘さえ与えた。アーケードゲームにあまり親しみを持たないパソコンユーザーにとっては、ゲームにこれほど音楽が重要だったのかということを認識させられただろう。「テグザー」「キュービーパニック」も、OPNのFM音源を主に音楽に使用し、PSGは爆発音などの効果音に使用していた(しかし「テグザー」のオープニングではPSGもふんだんに使用した作りになっていて、初物としてはかなり使いこなしていた)。しばらくはこの構成の音楽が圧倒的に多かった。ちなみに「テグザー」の音楽を録音したテープがゲームアーツから会員のみに発売され、これが88のゲームミュージックを録音した初めての媒体だろう。

余談だが、「テグザー」を作曲したのは、「テグザー」のメインプログラマーだった五代響氏(池田公平氏)、「キュービーパニック」を作曲したのは、やはりプログラマー(キュービーパニックのプログラムは手掛けていない)の大葉浩美氏である。どちらも本業は作曲家ではなくプログラマーだ。初期のゲームミュージックは、プログラムやOPNのチップのハード構成などがわかっていないと作曲が難しかった。プログラマーが音楽まで作ってしまうという今ではあまり考えられない状況が見られた(しかも両ゲームも曲はなかなかすばらしい)。

その後、「ホットドッグ」「Will」「アメリカントラック」(写真)など、FM音源を使用したゲームが登場したが、ゲームにBGMが欠かせないと痛感させたゲームがあの名作「ザナドゥ」である。ザナドゥのメロディは実に神秘的で、同じ曲がずっと流れつづけるのだが、なぜか飽きのこない音楽で、ザナドゥという世界を構築するのに一役も二役も買っていた。これ以降、ロールプレイングゲームに音楽がないとなぜか物足りない気がしたものである。
この後、ゲーム中にBGMが挿入されるゲームが徐々に増え始める。その中でも1つ革新的だったのは、1986年に発売された「アルバトロス」「ファイナルゾーン」の日本テレネットのシリーズである。作曲者はその後大活躍する恋瀬信人氏(本名、佐藤修氏)。FM3音の音にPSGを使ったドラムスを挿入した。PSGでドラムスを表現するというのは、なかなか大胆な発想だが、PSGのノイズ機能を駆使すると、それなりにドラムに聞えるし、シンバルも強引に高音を使うと独特の音がでたりして、味があったのである。ファイナルゾーンは、初めてミュージックモードを搭載したことでも有名であった。



良質な音楽が続々と

1986年に発売された「レリクス」(写真)は、オープニングをクリスタルキングが作曲したことで話題になった。また、「ザナドゥシナリオ2」では、マイコンベーシックマガジンで当時頭角を現していた古代祐三氏(YK-2氏)が作曲を担当し、FM音源でも十分鑑賞に堪えられる音楽がようやく出始めてきた。初期のFM音源の音色は、88の標準音色(最初からプリセットされていた音色)を使用していたゲームが圧倒的に多く、どの音楽も似たような音色が多かったのだが、古代氏の音色はなかなか洗練されていたし(ただ、すべて古代氏自身が制作した音色なのかは不明である)、古代氏自身、自分で音源ドライバまで作成してしまうという人種でもあった。
またちょっとおもしろいテクニックもあった。FM音源の音数が3音しかないため、メロディとベースに1音ずつ使うと、コードを表現できる音は1音しかなくなってしまう。なんとか1音でコードを表現しようとして、「ドミソ」といった音を16符音符で高速に垂れ流し、それを表現するというアルペジオの手法から考え付いたものである。「テグザー」「夢幻戦士ヴァリス」がこれを使用しているのだが、制約の中から生まれた斬新な方法だったかもしれない。

1987年になると音源ドライバ自体に少しずつ変化が見られるようになる。音源ドライバにいろいろな機能を付加して音を良くしようというものだ。「シルフィード」では、音に強烈なビブラートをかける事により、単音ながら厚みのある音を出すことに成功している。また、「女神転生」(写真)では、メロディにFM音源の2音を割り当て、そのうちの1つの音を少し遅らせて音量を小さくしてディチューンをかけるというコーラス効果により、音に厚みを出している。この方法は後のほとんどのゲームで使用されている。
そして「イース」はさらに革命的な音楽を作り出した。いままでほとんど使われなかったPSGをメロディラインとして使用し、FM3音+PSG3音で音楽をつくりだした。特にPSGを2音重ねてコーラス効果を使用すると透明感のある美しい音が出るということをうまく利用した音楽であった。また、「イース」はメロディも非常に洗練されており、パソコンゲームミュージックをメジャー路線に引き上げたゲームだろう。この音楽は古代祐三氏によるもの(他2名もかかわっているが)である。
また、「スターシップランデブー」では、FM音源の効果音モードを使用し、本来3音しかでないはずの音を2オペレータに分解して、FMを4音ならすということをしている。この曲は後に伝説のオウガシリーズなどで活躍する、崎元仁氏&岩田氏の作品である。



サウンドボードIIの登場

1987年にPC8801FA/MAが発売になった。このマシンにはサウンドボードIIという強力な音源がついており、ここから88のすばらしい音楽が量産されることになる。サウンドボードIIは、それまでのOPNとは異なり、ヤマハの新しいチップOPNA(YM2608)が搭載された。OPNAは、OPNが2個搭載され、さらに不足していた機能が追加されたものだ。FM音源は6音同時発生ができ、さらにLRのステレオ機能が搭載された。PSG部分はOPNと同様3音で変更なし。他にはリズム音源が追加され、バスドラム、スネアドラム、シンバル、ハイハット、タム、リムショットの音を出すことが可能(これはプリセットで音色は変更できない)。そして、ADPCM機能が搭載された。ADPCMは、サンプリングの方式PCMの変形版といったもので、PCMは音の波形を細かい時間で縦に分割して、各時間ごとの電圧をデジタル値で記憶しようというものであるが、ADPCMはメモリの節約のために、波形の各時点での電圧値を現すのにその絶対値を用い、前にサンプリングした値からの「差」を常に記憶させるという方式である。
簡単にいうとOPNAのADPCMは、音をそのまま録音して再生できる機能である。しかし、サンプリングはメモリを大量に消費するめに、なかなかゲームには使われなかった。

サウンドボードIIを最初に使用したゲームは、「ハイドライド3」だと言われている。ただ、ハイドライド3はサウンドボードIIを使ったといっても、メロディの一部を左右に振るステレオ効果と軽いハードLFOがかかるだけで、実質FM3音+PSG3音しか使用してしなかった。それよりもハイドライド3では、個性的なエンベロープをもったPSGをメインにした楽曲の方が当時としてはめずらしかった。サウンドボードIIの機能をはじめて有効に使ったのは、「ゼリアード」(写真)「セイレーン」だろう。ゼリアードは、FM6音をオープニング曲でリズム音源と共にいかんなく使用した。セイレーンは、小川のせせらぎや風の音をサンプリングし、それをゲーム中に効果的に流した。その後「スタークルーザー」「アークス」などのサウンドボードII対応のゲームが発売されたが、すべての機能を使用したゲームといえば、「ザ・スキーム」だろう。これも古代祐三氏の作品だが、ギターやオーケストラヒットといったADPCMをふんだんに使用し、リズム音源+FM6音+PSG3音を有効に使用したものであった。ゲームよりも音楽が有名になったソフト、さらにCDの方が売れたソフトはこれくらいなものだろう。その後も各社からさまざまな対応ゲームは発売された。特に「ミッドガルツ」「ファイアーホーク」「怨霊戦記」「デストラクション」「ヴァリスII」などはADPCMを用い音楽もすばらしかった。特に古代祐三氏の「ミスティブルー」は、「ザ・スキーム」以上にこの音源を活用し、サウンドボードIIの音楽としては最高の仕上がりとなっていると思う。




PC8801MCの登場

88の最終機種、PC8801MCが登場した。このマシンはCD-ROMを搭載し、CD-ROMから音楽を流すことが可能で、いわば「PC-Engine CD-ROM^2」のような使い方ができるというものであった。しかし、これに対応したゲームはほとんど登場しなかった。ただし、唯一登場した専用ソフト「ミラーズ」(写真)は、音楽に非常に力を入れており、CD-ROMアクセスをして音楽を止めないように、わざわざデータをいちいちディスクにコピーしながらゲームをやらせるという凝りようだった。ちなみにサウンドのみCD-ROMから出力できるというゲームはいくつか発売された。光栄のシミュレーションシリーズ、「DIOS」、「デュエル」などである。



FM音源で音楽を作る難しさ

PC88ではたくさんの名曲が作られたが、我々はなぜ88の音楽にこんなにも魅せられたのであろうか。88の音楽というのは、普通の楽曲に比べれば非常に貧弱である。たぶん、当時の一般の人から見れば、88の音楽を鑑賞するということ自体が信じられないことであっただろうし、現代のゲーム好きの人が聴いても、いまさら特に感動がないかもしれない。
筆者もファミコンの音楽は鑑賞する気にならない。どうしてあんなピコピコいってるのが聴けるのか不思議に思う。しかし、これは一般人からみた88に置き換えれば全く同じことだ。たぶんファミコンのピコピコ音楽が好きな人はファミコンが好きで、ゲームも好きで音楽も好きなのだろう。88も全く同じだ。88のゲームミュージックは単品で聴くのではなく、ゲームと組み合わせて1つのイメージとして残っているのである。私はゲームミュージックが単体で独立したものとは考えていない。ゲームミュージックはゲームをプレーし、その苦労や思い出を分かち合わせているからこそ、なお愛着が沸くものだと思っている。
それにしても、88の音楽が通常の音楽に比べて独特なのは、FM音源+PSG、そしてリズム音源に起因するところがあると思っている。特にリズム音源はサウンドボードIIの特徴的な音で、普通に聞くと情けないドラムスなのだが、PSGと重ねたり、リムショットと重ねたりするとそれなりに聞ける音が出る。特に日本テレネットはこの音源をよく使いこなしており、PSGを重ねたドラムスはなかなかのものだ。また、アルシスソフトの「スタークルーザー」はリズム音源を実によく使いこなしており、88の数ある楽曲の中でも最高に挙げられるものの1つである。
OPNの時代では、FMの音は同時に3音だけしかならなかったから、自動的にメロディ1音、ベース1音、コード1音(またはドラムス1音)という構成になる。音数が少ないので、いかにメロディを作るかが勝負になってくるわけだ。1音でつくる音楽はメロディ勝負でごまかしが効かない。ハウスミュージックのようにリズムでごまかしたり、適当にコードを流したりはできない。88の初期の音楽に関しては、完全にメロディーライティングの優劣がその音楽の評価そのものになったのである。しかし、メロディの良さというのは、音楽の一番重要なところだ。最近はメロディがまるでないような曲でも立派に曲として成立してしまう傾向もあるが、筆者はそんな音楽はあまり好きではない。だから、88の音楽というのは、いまの音楽で忘れ去られた、「メロディの美しさ」を聴くことが出来る曲が多い。
FM音源というのは、本当に独特の音だ。実際の楽器と比べたら薄っぺらい音しかでない。しかし、そこに味がある。現実の楽器ではありえない音が表現できるし、4オペレータならば音の種類は無限に広がる。まさに作り方によってさまざまな表情を浮かべるのだ。筆者は当時流行っていたMIDI、特にMT-32の音が嫌いだった。それはMT-32の曲がほとんど同じ音色で構成されていて、「またこの音か・・」と飽きてしまうためだった。MT-32は各メーカーの音屋さんにとっては、音色を作らなくて済んだだけ楽だったのかもしれないが、FM音源ではそうはいかない。FM音源はその音の出来によって音楽の良さを左右し、音屋さんとしての自分の力量が音にモロに出てしまうものだった(その分こちらも楽しみであったのだが・・)。そして88時代の音屋さんは実によくがんばって音とメロディをつくったと思う。それは制約があったからこそ生まれた産物だ。たとえば、強引にPSGでシンバルを表現してみたり、1音でコードを高速に鳴らして表現してみたり、2音をディレイに使って厚みを出したり。FM音源を知れば知るほど、よくもこんな音色が作れたものだと感心するゲームが88には本当に多い。FM音源の使い方はアーケードゲームを超えたものが多数あった(タイトーのズンタタもすばらしかったが)。
音楽のレビューに関しては、音楽レビューを見てもらうとして、筆者が個人的に特に印象に残っている音屋さんを何人か挙げさせてもらう。まずは古代祐三氏。「ザナドゥシナリオ2」「イース」などのファルコム時代からその音楽は群を抜いており、88音楽の第一人者的存在になった彼は、「ザ・スキーム」「ミスティブルー」とサウンドボードIIを見事に使いこなした音楽を制作してくれた。特に「ミスティブルー」は最も完成度の高い楽曲になったと思う。古代氏の特徴はユーロビート調の曲のテンポの良さと、古代音色と言われた独特のFM音色にあったと思う。ミスティブルー以降、ハウスに走ってしまい、残念ながら筆者は興味を失ってしまったのだが・・。
続いて、すぎやまこういち氏と田口泰宏氏。このコンビは、「ジーザス」「アンジェラス」などの曲を制作したが、すぎやま氏のわかりやすく親しみやすいメロディに加え、田口氏のFM音色の使い方はすばらしいものがあった。彼はサウンドボードIIに移行してから、FM音源を重ねたときの音を十分に研究したようで、「アンジェラス」で見せる音の広がりは特筆するものがあると思う。
続いて、佐藤修氏(恋瀬氏)。「ファイナルゾーン」「サジリ」「エメラルドドラゴン」と数多くの名曲を作った彼は影の88音楽の功労者だろう。彼のメロディは心にジンとくるものが多い。
そして、最後に藤岡千尋氏。筆者が個人的に最も好きな音屋さんであった。


主な作曲者は以下のとおり。

古代祐三氏 ザ・スキーム、イース、イース2、ソーサリアン、ミスティブルー
崎元 仁氏 リボルター(同人)、スターシップランデブー
恋瀬信人氏(岡村宏美) ファイナルゾーン、ルクソール、女神転生、ライレーン、神羅万象、エメラルドドラゴン、ヴェインドリーム
佐藤天平氏 エグザイル、エグザイル2
梶原正裕氏 ヴァリス2、ホールチェイサー、ピアス、ルージュ
すぎやまこういち氏 ジーザス、アンジェラス、ジーザス2
菅野よう子氏 信長の野望・全国版、三国志II
小川史生氏 ヴァリス、ルクソール、女神転生、エグザイル、エグザイル2
富田茂氏 サイオブレード、ハイドライド3、ルーンワース
宇野正明氏 アークス、ヤシャ、あーくしゅ、ミッドガルツ
藤岡千尋氏 ブライ、アドヴァンストファンタジアン、バトルゴリラ
小坂明子氏 ラプラスの魔、アグニの石
石川三恵子氏 イース、イース2、スタートレーダー、ソーサリアン、英雄伝説
笹井りゅうじ氏&新田忠弘氏 ホワッツマイケル、Xak
斎藤 学氏 ヴァルナ、シャティ、プロヴィデンス
山中俊哉氏 スタークルーザー、ワードラゴン
鈴木慧氏 セイレーン
岡田英之氏 ザ・病院
K.SAWA氏 バーニングポイント
五代響氏(池田公平) テグザー、シルフィード
大葉浩美氏 キュービーパニック、シルフィード、ファイアーホーク
メカノアソシエイツ シルフィード、ゼリアード、ファイアーホーク
斎藤康人氏 うっでぃぽこ、プロデュース
浅倉大介氏 ディーヴァ
クリスタルキング レリクス
SHOW-YA ブライ上巻



音屋さん特集1・梶原正裕氏

梶原氏といえば、「夢幻戦士ヴァリスII」「ホールチェイサー」「ルージュ」などの楽曲で知られる音屋さんである。
彼がコンピュータに触ったのは小学5年生のときで、PC-8001を購入したのがきっかけであった。彼はPC-8001を使って、いろいろとゲームを入力して遊んだという。当時だと「ASCII」や「I/O」いった雑誌のゲームの主流であった。彼は元々ゲーム好きで、小さい頃から「インベーダーゲーム」をよくプレイし、一番はまったゲームは「パックマン」だったという。ゲームを入力しているだけでは物足りなくなり、BASICやマシン語を覚えていった。はじめは、雑誌のプログラムを改造するところから始まり、下にしかスクロールしないカーレースゲームを作ってみたりした。

梶原氏の母親はピアノの先生だった。そのため彼は幼少のころから母のピアノを音をよく聞いていたらしい。ただ、聞いていただけで習ったことはなかったという。こんな経緯で音楽にも興味があった彼は、PC-8001でマシン語を覚えて、BEEP音に音階をつけて曲をならして遊んでいた。当時どこかの雑誌に掲載されていた音声合成のプログラムを入力して遊んでいたらしい。また、アドコム電子から発売されていたPSGの付いた録音ができる拡張ボードを購入し、これで音声を録音したりしていたらしい。
中学生に入ると、パソコン部があったため、そこにさっそく入部。そこではTK-80、JR-100といった往年の機種が揃っていた。また、たまたまその後MZ-1500を学校が購入したので、これでプログラムを作ったりした。I/Oに掲載された「ホバーアタック」というX1用のゲームをMZ-1500に移植し、第4回I/Oプログラムコンテストに応募。このときに「努力賞」をもらった。ただ、この移植したホバーアタック、本家にはない機能がついていた。当時「蒼き流星SPTレイズナー」が流行っていたので、自機にV-MAX機能をつけて、さらにその音楽まで自分で作曲してつけてしまったらしい。是非実物をみてみたいものである。

入選したお金でPC-8801を購入し、高校へ進学。高校もパソコン部に入り、パソコン部でゲームばかりをプレーしていた。当時プレーしていたのは、光栄の「三国志」。また、このころから音楽もかなり作るようになり、同人の音楽ドライバ「SPLIT」を使って音楽を作った。作っていたのは、「イース」や「AJAX」など、当時ありがちな曲のコピーであった。多いときには、1日で1本もの音楽を作っていたという。
高校2年生の頃から、当時ゲームセンターにいた仲間と一緒に同人ソフトを制作することに熱中しだし、こちらに精力を傾けるようになった。同人ゲームのプログラム、音楽は梶原氏が一手に引き受け、残りのメンバーがグラフィックを描くという作業だった。このころからあまり高校にいかなくなり、同人活動ばかりに身を置くようになった。最初に所属していたサークルは「G_CLUB」というところで、ここで「SUPER JACK」という白黒の脱衣ブラックジャックゲームを制作した。音楽は梶原氏のオリジナルの音楽である。同人ソフトもなかなか儲かったらしく、1回で10万円くらいは手に入ったそうだ。その後、SSGというサークルに在籍し、そこで音楽やプログラムを担当した。
高校を卒業した梶原氏は、「日本テレネット」に入社した。音楽志望であった梶原氏であったが、プログラムもバリバリだったため、はじめはプログラムの手伝いなどもかなりさせられたが、「夢幻戦士ヴァリスII」ではじめて彼が作曲した数曲が日の目を見ることになった。また、このころに、「緑水ソフト」という同人サークルに入り、やはり音楽を担当するが、使っていた「SPLIT」にLFO機能がなかったために、LFO機能を追加しようとしたのだが、1から作った方が早いということで、自分で音源ドライバを作ってしまった。これが「PMD」である。「PMD」は後の98のDOSゲームではかなりのゲームでこの音源ドライバを使用していたというすぐれものであった。「PMD」の制作は実際には1ヶ月ほどかかったそうだ。
日本テレネットで音楽の仕事が出来た梶原氏だが、日本テレネットがこのころ、PC-Engineに参入をはじめ、FM音源+PSGの曲が作りたかった梶原氏は、意見が衝突したために会社を辞めることになる。そして、この後、「バーディソフト」に契約社員として入社。「ピアス」「ホールチェイサー」「ルージュ」といった音楽をPMDを使って自分で作曲していった。バーディソフトには1年弱在籍していた。この後、会社からきちんと通勤しろという命令がきたのだが、梶原氏の家は登戸、会社は葛飾区ということでとても遠かったことから、また会社を去ることになった。
バーディソフトを辞める直前に、日本テレネットでヴァリスIIのデザインなどをしていた橋本氏が、ガイナックスで一緒にゲームの音楽をやらないか?と声をかけてきたので、バーディソフトを退職後、ガイナックスに外注として移籍した。その後、「電脳学園4」「サイレントメビウス」「不思議の国のナディア」などの音屋さんとして活躍していくことになった。



音屋さん特集2・藤岡千尋氏

藤岡千尋氏といえば、クリスタルソフトで「バトルゴリラ」「アドヴァンスト・ファンタジアン」、リバーヒルソフトの「ブライ上巻」などを制作した音屋さんである(本職は経営関係かもしれない)。
高校生3年生のときにバンドを始めた藤岡氏は、ピンクフロイドやキングクリムゾンといったプログレ音楽が好きで主にそちらを活動をしていた。ただ、あまり熱中したために大学には案の定落ちてしまう。そして卒業のときにアメリカンポップスのバンドで、ドラムをやらないかという話があった。藤岡氏が死ぬほど嫌っていたオールディーズだったのだが、それに加わりバンドマンとしての活動を開始した。
バンドマン時代は、昼間楽器店でバイトをしていたのだが、そのときにクリスタルソフトの森田氏と出会う。これがきっかけで、クリスタルソフトに入社。彼はプログラムも組んでいたようで、最初の作品は恐らくPC-6001版の「リザード」である。彼はクリスタルソフトのかなり初期からのメンバーで、その後クリスタルソフトを牽引する1人となった。

音楽活動も、バンドマンとして仕事のかたわら続けて定期的にライブ活動を行っていた。ちなみに「バレンドリーム」(写真)というアルバムも発売している。彼はクリスタルソフトの音楽も後に担当し、「バトルゴリラ」「アドヴァスント・ファンタジアン」「夢幻の心臓Ⅲ」は彼の作品と思われる。FM3音+PSG3音という標準的なOPNの楽曲としては、最高峰と思われるあらゆるテクニックを駆使し、我々を魅了した。特にFM音源の単音で奏でる音の太さと、PSGのエンベロープの作り方は他の追随を許さなかった。リバーヒルソフトの鈴木理香氏と親しかったらしく、リバーヒルソフトの「ブライ上巻」も彼が担当することになる。ブライ上巻は、当時人気だった女性ロックバンド「SHOW-YA」が作曲を担当したが、これがゲームミュージックをなめているような出来であった。しかし、藤岡氏のテクニックにより、パソコンミュージックとして見事に生まれ変わり、「ブライ上巻」の音楽は88音楽の中で、OPNとしては最高の仕上がりを見せていると個人的に思う。

参考文献:Oh!PC84年12月号
アドバイス:KAJA氏
ヤマハのOPNの写真、DX-7の写真:電波新聞社パソコン音色ライブラリーVol.2 P.3より引用
藤岡千尋氏の写真とジャケット:角川書店コンプティーク87年10月号P.189、工学社PIO86年8月号より引用