1985年から1986年まで


PC-8801mkⅡSRの登場

1983年までに富士通からFM-7、シャープからX1が発売され、これから1980年代後半まで続くパソコン御三家のシェア争いが始まった。PC6001もパソコンブームに乗って一時期はPC88を超える人気を示していたが、PC6601など、発展性の限界と同系列新機種と旧機種との互換性の違いから、自滅していった。

NECはここで思いきった戦略をとる。1985年1月にPC-8801mkⅡSR(以降SRと略す)を発売。2代目のPC-8801mkⅡがコストダウン中心のモデルチェンジだったのに対し、SRは、機能・性能向上を中心としたモデルチェンジであった。SRの最大の進化はなんといってもハイスピード化にある。ハイスピード化といっても、クロックを速くしたわけではない。以下が高速化の特徴である。

・高速のマスクROM使用によって、CPUのウエイトをなくした。
・独立した高速VRAMの採用によって、CPUの処理効率をあげた。
・GV-RAMアクセスにサイクルスチール方式が採用され、CPUが無駄なくGV-RAMにアクセスできるようになった。
・ALUの追加により、CPUがR.G.B.の3画面を同時にアクセスできるようになった。


高速VRAMというのはどういうことかというと、従来はテキスト画面を表示するためにCPUを定期的に止め、画面表示データをメインRAMのテキストエリアからCRTコントローラへ転送していた。このため、CPUが実際に計算などの処理を行っていたのは、全体の60%くらいであった。SRでは、独立したテキストRAM(高速VRAM)を設け、CPUの処理中でも高速VRAMとCRTコントローラ間で表示データの転送が行われるため、CPUを止める必要がなくなった。

サイクルスチール方式は何かというと、これまでグラフィック画面表示中は、常にグラフィックRAM(GV-RAM)から画面データが読み出され、CPUがGV-RAMを読み書きしようとしても、CPUは画面表示が終わるまで待たされていた。SRでは、画面表示中でも、GV-RAMからの表示データ読み出しの隙間をぬって、CPUがGV-RAMを読み書きできるようになった。

これらの機能により、どのくらいスピードアップしたかというと、通常のBASICプログラムならば約1.5倍ほどで、目覚しい速さを感じないかもしれないが、市販されているグラフィックを使用したゲームで比べるとその差は歴然となる。いままでとても遅く感じられたゲームが、とても人間ワザでは対抗できないほどスピードアップし、速くて遊べないゲームもあるほどだった。スピードが遅くて見捨てたゲームをSRで動かすと、全く別のゲームに変身することもある、といえば、そのスピードアップのほどを知ることができるだろう。実際、描画速度に関しては最大40倍の速さと言われた。
SRは3つのモードが用意されており、従来のPC-8801mkⅡとの互換性が考慮されたV1モード(V1S)、V1モードでSRに搭載されたハードウェアが利用できるV1+ハイスピードモード(V1H)、SRの高速化されたハードに対応したソフトの動くV2モードである。V2モードは、以後の88シリーズの最後まで受け継がれ、16ビットの88VAを除けば、基本的なアーキテクチャはそのまま使われることになった。余談だが、1985年10月までに88シリーズは計約48万台を出荷した(東南アジア向けにPC-8801ARというマシンもあったという)。



ALUの機能

SRにはALUという演算回路が新たに加わったのだが、この機能はどのようなことができたのだろうか?
ALUにはいろいろなグラフィックの高速処理機能があるが、ゲーム中で使われていた機能は主に以下の2つである。この機能はVRAMに書き込む際の各種モードを指定する事で実現されている。
まず1つはVRAMに1回書きこむだけで好きな色がだせてしまう機能。いままでの表示では、白い色で文字を表示したかったら、BRGのすべてのプレーンに同じものを書かなければならなかった。しかし、この機能を使い、ポートの34Hに白なら7をポンと送っておけば、1度VRAMに書き込むだけで3つのプレーンに同じ物を書いてくれるようになる。つまり2回分処理が早くなるということである。また、ドットを置かない部分は一切関知しないという、重ね合わせを勝手してくれるので、便利である(ALUのORモードの機能で、それ以外にNOT+AND,XORといった演算モードもある)。画面全体(または特定領域)を高速に消す、というのもALUの得意技であったが、これはこの3プレーン同時書き込み機能で実現されている。

もうひとつは、一番最近に読みこんだグラフィックデータを書き込む機能である。たとえば、VRAMから値をなにか読みこむ。そしてまたVRAMの別の場所に書きこんだとすると、最初に読みこんだVRAMのデータがそのまま3プレーン分書きこまれてしまう。通常、3プレーン分データを読み込んで、3プレーン分データを書きこまなければならないことを考えると早い処理ができる。スクロールがぶれることなく3プレーン同時に動く。この機能を利用して、キャラクターのデータなどを、画面のはじっこの方にテキスト画面で隠しつつ書いておけば、そこから3倍の速度で転送でき、アニメーションが滑らかに出来る(たとえば、イースIIのデモで使われていた。写真の中央だけが画面に表示されていて、あとはアニメーションパターンになっている)。




その他の機能追加

SRにはまだ機能追加がある。アナログRGBディスプレイと組み合わせると、512色のパレットから8色を選んで使用できる。ただし、一度に使えるのが8色。また別売のケーブルを使えば、ニューメディアテレビの21ピンRGB端子に接続が可能であった。しかし、モニタの価格が高かったために普及が遅れた。そのため対応ソフトも付属のデモ程度しかなかった。

さらに、SRになって大きく変わった機能の一つがサウンド機能である。そのサウンド機能とは、FM音源で、これは当時一世を風靡したヤマハのデジタルシンセサイザDX-7と同じLSI(YM-2203)が使われていた。これは先に発売されたPC-6001mk2SR及びPC-6601SRとほぼ同様のもので、8オクターブでFM音源3音、SSG(PSG)音源3音、つまり最大6重和音の演奏が可能になった。ただし、ステレオ機能はない。



互換性

SRと旧88の互換性だが、機械語を含まないBASICで製作したソフトはほぼ100%動いた。機械語を使っているソフトも、BASICのROMルーチンを使っていなくて、変なアドレスに置かない限りほぼ動く状態であった。問題はBASICのROMルーチンを使っているソフトである。SRのグラフィックのスピードを上げるためにROMを書き換え、一部の機能をハードウェア側にまかせているのが原因で、通常のエントリポイントを守ってROM内ルーチンを利用するかぎりは問題ないが、ルーチンの途中から飛び込むような利用をしているソフトは動かないものがあった。



SR発売後

SRの発売後、ゲームアーツから「テグザー」が発売された。リアルタイム全方向スクロールシューティングゲームで、いままでの88からは考えられないようなスピードをもった傑作ゲームであった。またFM音源による音楽も冴え、アーケードゲームはおろか、ファミコンにさえリアルタイムゲームでは遅れをとっていた88ユーザーには、まさに青天の霹靂ともいうべきマシンであった。
もともと88がヒットした要因は、「ドアドア」「アルフォス」といったアーケードゲームに近いゲームを遊べるというところにあった。1983年から1984年になり、アーケードゲームのハードは進化し、88ではスピード的に同じものを再現するのは困難になった。そして、1983年に登場したファミリーコンピュータは、88のたった10分の1の価格で、88よりも数段動きのよいリアルタイムゲームをプレーできた。88ユーザーが頼みの綱としたのは、リアルタイム性の必要がない「アドベンチャーゲーム」や「ロールプレイングゲーム」であった。1983年から1984年にアドベンチャーゲームが爆発的にヒットしたのは、88ではまともなリアルタイムゲームが制作できないことの裏返しだったと言えるかもしれない。しかし、「テグザー」の登場はその状況を一変させた。このゲームは88ユーザーが数年間待ちつづけた待望のリアルタイムゲームだったのである。
機能的にも価格的にも(mkIIよりも60,000円安かった)ヒットする要因が詰まったSRであったが、既存の88ユーザーすべてが受け入れたわけではなかった。特に1984年後半にmkIIを購入したユーザーは、20万近い出費をした上に買い替えを要求されたのであるからたまったものではない。また、SR専用のゲームは「テグザー」、「キュービーパニック」以後はすぐに多くのゲームが発売されなかったことから、多くのユーザーはSRのスピードにあこがれながらも、現状のマシンで我慢していた。実際すぐに購入したのは、新規88ユーザーと「テグザー」を遊びたい一部のお金に余裕のある人たちだったと思われる。
しかし、85年中盤からSRのスピードを要求するゲームが増えたために、徐々にユーザーも移行せざるを得なくなった。NECの大胆な機能アップは、多大な浪費を強いられたユーザーからの批判もあったが、まずまず成功したといえるだろう。



ソフトハウス同士の連結

この時期、本来競合関係にあるソフトハウス同士が互いに手を結ぶというアクションが行われたのも見逃せない。1つは、関西3社による「Trinity」、もう1つは京浜地区の「SST」である。ソフトウェア業界はそれまで群雄割拠の時代であり、各社とも他社のことを気にすることはあれ、連携までは考えていなかった。それがこの時期なぜ連携という形になったのであろうか。
「Trinity」に参加した会社は、THINKING RABBIT、クリスタルソフト、ハミングバードソフトの3社である。「大阪のソフト会社の中で横の連絡を取り合ってまとまりたい」という各社の意向で、1984年の6月に開催された大阪マイコンショウに共同出展する(一つのブースで3社が共同で出展する)というワリカン的発想がこのグループの活動の始まりだった。そのあと、雑誌広告の相乗り、フロッピーディスクやパッキングケースなどの共同仕入れなど、最少の経費で最大の効果を狙うというシステムを確立し、それでいて各社のイメージはそれぞれ別個の広告を打ち出していた。また、これら3社の共通点は、まず経営者が若いこと、そしていずれも「ゲームが好き」で事業を始めており、スタート時期もほぼ同じ、社員の数も機動力の発揮できる十人前後というものであった。彼らはお互いに情報交換を月に2,3回のペースで行い、各社の長所を自社にも取り入れ、ソフト業界の将来について話し合ったりしていたようである。また、ソフトのライフサイクルの短さと開発期間の長さの問題、そしていかに「ライフサイクルの長い商品をつくるか」を最大のテーマとして活動していったようだ。


「Trinity」に続いて1984年の10月に発足したのが、京浜地区にあるソフトハウス4社(システムサコム、日本ファルコム、ボーステック、BPS)のSST(Super Software Team)である。実はこのあとスクウェアが加わり、実際は5社になっている。SSTは、大阪で行われれたソフトハウスの全国的な集会からの帰途、新幹線の中での雑談から生まれたという。
実際の活動内容は、「Trinity」とほぼ同じで、各社の技術的な面でサポートしようという動きも具体的にあった。たとえば、システムサコムが1984年12月に発売したグラフィックツール「PED」を、ボーステックが利用してゲームを制作したりしていた。また、月に一回ミーティングを行い、大阪のレンタルショップ10社宛てにSSTの連名で警告書を送ったりしている。
結局のところ、TrinityもSSTも、活動内容とメリットは、各会社の情報交換、広告費の削減、フロッピーディスクなどの経費削減、テクニカル面でのサポートというところで、さらに新しいゲームの流れ、新しいゲームの文化を作っていきたいという各社の建設的な意向がこのような連携を生んだといえるだろう。



1985年に売れたソフト

1985年度で人気のあったソフトは何だったのだろうか?当時のPC-Magazineの年間ゲームベストテンから見てみよう。

順位ゲーム名メーカー名
第1位ハイドライドT&ESOFT
第2位ロードランナーシステムソフト
第3位ザ・ファイアークリスタルBPS
第4位テグザーゲームアーツ
第5位野球狂ハドソン
第6位ファンタジアンクリスタルソフト
第7位Willスクウェア
第8位ザ・キャッスルアスキー
第9位ドラゴンスレイヤー日本ファルコム
第10位ザ・コックピットコムパック
第11位任天堂のゴルフハドソン
第12位アステカ日本ファルコム
第13位軽井沢誘拐案内ENIX
第14位メルヘンヴェールシステムサコム
第15位プラズマラインテクノソフト

ダントツの1位は「ハイドライド」である。「ハイドライド」は1984年の冬に発売されてから、1年間の間コンスタントに売れつづけた驚異的なソフトだった。1984年に「ザ・ブラックオニキス」がロールプレイングゲームとして大ヒットした。ロールプレイングゲームはアドベンチャーゲームと同様、パソコンならではのゲームで、その独特のおもしろさは多くの88ユーザーを虜にした。しかし、「ザ・ブラックオニキス」以降、国産のロールプレイングゲームで、パッとしたものはなかなか発売されなかった。そんなときに彗星のごとく登場したのが「ハイドライド」であった。「ハイドライド」はそれまでロールプレイングゲームのスタンダードであった「ウルティマ」、「ウィザードリィ」のどちらにも属さない、日本独自のリアルタイム性を追加した"アクティブロールプレイング"ゲームだった。そして「ハイドライド」以降、ロールプレイングゲームは一大ブームとなっていく。
一方、アドベンチャーゲームは次第に飽きられていった。それはアドベンチャーゲームの性質が「ミステリーハウス」以降、根本的には変わっていないことにあった。コマンド入力タイプのゲームは、初めて体験したときは楽しかったのだが、徐々にゲームの粗が見え始め、ロールプレイングゲームといった新たなタイプのゲームの登場によって埋もれていく結果となった。
アドベンチャーゲームが隆盛だった1984年に比べて、アクション性の強いゲームが数多くランクアップされているのもこの年の特徴だろう。大ブレイクした「ロードランナー」をはじめ、「テグザー」「野球狂」「ザ・キャッスル」と、パソコンでしかできないパズル性をもったゲームやSR専用のゲームが入選しているのが目立つ。




流通の革命

1985年に、ソフトウェア自動販売ネットワークシステム「SV-2000」というシステムが、ブラザー工業とインテックによって開発された。これは後の「タケル」のことである。このシステムは、65都市に情報サービス網を持つインテックのVANにドッキングさせて、ゲームやあらゆるソフトを気軽に、しかも早く、安く自動販売しようというものであった。この当時、パソコンソフトは、書籍などと同様にトラックによる配送がほとんどで、このシステムはその物流を一気に解消してしまうものだった。

このシステムの特徴は、物流に比べて流通のコストが大幅に低減することと、それによってメディアのパッケージが統一され、かつ簡略化されることからそれまでの定価より2~3割安くなるということであった。また、ユーザーだけでなく、不良在庫処理に頭を痛める販売店にとっても大きなメリットをもたらすことになった。これまでソフトは商品のサイクルが短く、しかも当たり外れが激しく販売店の悩みのタネであった。しかしSVシステムセンターに登録されたソフトデータベースを中心としたネットワークならば、ユーザー、販売店、ソフトハウスがネットワーク化し、販売店に在庫がなくて手に入らないというユーザーの不満が解消されるとともに、販売店は売れ筋のソフト情報をつかむこともできるという一石二鳥のシステムであった。

このSV-2000のシステムはどのようになっているのかというと、センターと各販売店にあるクライアント(販売機)はパケット交換による通信ネットワークでつながっている。クライアントにはハードディスクがついており、そこにデータが貯えられる。ユーザーは、ディスプレイ上の選択ボタンを選んでいくだけでフロッピーディスクやカセットテープにデータが転送されるというしくみである。


もともとこのシステムを開発したきっかけは、ブラザー工業が1983年6月に「コムロード」というパソコンショップをオープンしたことに始まる。しかし、この販売店はオープン後、あっという間に何千万という不良在庫がたまってしまった。そのため新製品開発室で、「すぐに自動販売機にしてしまえ」という意見が出され、VANとの接続を決めるのにはそれほど時間はかからずに実現したらしい。このシステム、第一号機が設置されたのはもちろん名古屋の「コムロード」だった。そのあと試験運用として東京、名古屋、大阪にはじめに設置され、内蔵ソフトは「ハイドライド」など60種であった。ちなみに初期運営時の人気ソフトは以下のものであった。

ハイドライド(T&E SOFT)
ファンタジアン(XTAL SOFT)
プラズマライン(テクノソフト)
EMMY2(アスキー)
ベストナインプロ野球(アスキー)
ハッピーフレット(マイクロキャビン)
はーりぃふぉっくす(マイクロキャビン)

ちなみに以下のものはタケルで発売された主なものである。

ミスターバンプ
はーりぃふぉっくす雪の魔王編
夢幻の心臓2
ばってんタヌキの大冒険
A列車で行こう
ザイオン
アグレス
マクロス
ラリー(ザップ)
メイガス
スカーレット7
リザード
エンジェル(ポリシー)
マーベラス
ウルトラ物語
クリスタルプリズン
殺人倶楽部
未来
メルヘンヴェール2
レリクス
メイドゥム
トリトーン
ロストパワー
ロボレス2001
ランボー
ドラゴンスレイヤー
アルファ
スーパーピットフォール
アーコン
ハイドライド2
カレイジアスペルセウス
カサブランカに愛を
へらくれす(ORIGINAL)
マデリーン(ORIGINAL)
ディーヴァ
グインサーガ
アスピックスペシャル
エルスリード
ジェネシス(ORIGINAL)
ハヤト
COSMO聖士LEAZA(ORIGINAL)
プロデュース
アルゴー
F2グランプリ
大脱走
will
ブラックオニキス
天使たちの午後
天使たちの午後 番外編
エリカ
ヘルプ
聖女伝説
レッドスタック
エルフ
ミスターライオン
ニューゴジラ
ギャルっぽクラブ
シティーファイト
狂パック2
オペレーショングレネード
ザイオン
ぱよーんぽよょーん
暗黒星雲
オービット3
ガールフレンドゆみこ
ぐるっぺ
クレイジーランド
サイキックシティ
ザイロス
ザ・ブラックバス
3Dゴルフシミュレーション
ジェルダ2
SHOGI MEIJIN
チャンピオンプロレス
ドリームランド
パラノイア88
はーりぃふぉっくす
ピーピングスキャンダル
ブリーズ
ベストナインプロ野球
ホットドッグ
ポーラースター3
ワイアード2
惑星メフィウス
リバティー
今夜も朝までパワフルまあじゃん2データ集
ロンリーハート
電脳学園



PC8801mkⅡTRの登場

PC8801mkTRは、1985年の9月に、SRの姉妹機として登場した。機能的にはTRはSRと全く同じで、通信機能を拡張するべくモデム付き電話、漢字ターミナルソフトなどを装備していた。当時話題になろうとしていたパソコン通信を行うための機能を持ち、通信ソフトもつけていたことから、そのまま商用データベースを利用したり、パソコン間で通信したり、BBSへ接続したりという意図だった。しかしモデムの速度が非常に遅かったことや時期が尚早だったこともあり、この機種はほとんど売れずに消えていった。価格は288,000円であった。



PC8801mkⅡFR/MRの登場


1985年12月には、PC8801mkⅡFR,MRが登場した。FRはSRの低価格化がメインで、モデル10(FDなしのモデル)は99,800円とついに10万円を切った。FD2台付きのモデル30も178,000円という価格。SRとFRの違いは次の3点。1つは拡張スロットが3スロットから1スロットに減少したこと。2つ目はN88-日本語BASICを標準装備したこと。3つ目はモノクロディスプレイインターフェイスやカセットテープレコーダーのインターフェイスが削られたことである。徹底的なコストダウン策が取られたことは明白である。この時期、中古のSRとFRの値段がほとんど同じだったことから、スロット数を考えるSRを購入した方がお得だったようだ。MRは、2HDのFDDが2台つき、メインRAMが192KBに増強、またJISの第2水準漢字を装備して、238,000で登場したが、いかんせん対応ソフトがデービーソフトの「春望」くらいしかなかったため、まだあまり価値はなかった。

FRの登場は、88の完全なホビーマシンへの進化ととれる。それは、スロット数の軽減、集積化による省スペース、低価格化などに如実に表れている。実際、FRになって、高値でいままで手が届かなかったユーザーが88を購入し、88の全盛期を築き上げた。特に1985年から1986年は、ロールプレイングゲームがブームとなり、「ハイドライド」「ハイドライドⅡ」「ザナドゥ」「ロマンシア」「夢幻の心臓Ⅱ」「ウィザードリィ」などの名作が次々に登場し、ファミコンやMSXからの乗り換えユーザー、いわば88の第2世代ともいうべき人たちが増えていった。



1986年に売れたソフト

1986年度で最も人気のあったソフトは何だったのだろうか?当時のログインのベストヒットソフトウェア大賞から見てみよう。

投票順位ゲーム名メーカー名
第1位ザナドゥ日本ファルコム
第2位ハイドライドIIT&ESOFT
第3位三国志光栄
第4位ウィザードリィアスキー
第5位レリクスボーステック
第6位ザナドゥ・シナリオII日本ファルコム
第7位グラディウスコナミ
第8位ザ・ブラックオニキスBPS
第9位ブラスティースクウェア
第10位覇邪の封印工画堂
第11位夢幻の心臓IIクリスタルソフト
第12位テグザーゲームアーツ
第13位ファイナルゾーン日本テレネット
第14位信長の野望・全国版光栄
第15位ウイングマン2エニックス

86年はロールプレイング一色という感が強かった年である。特に「ハイドライドII」「ザナドゥ」は圧倒的に強く、この2つのゲームがロールプレイングブームを牽引したといえるだろう。また、「ウィザードリィ」「レリクス」「ブラスティ」といったバラエティに富んだロールプレイングゲームもランクインしており、この時代のロールプレイングブームをさらに象徴しているようだ。アドベチンチャーゲームが完全に下火となり、純粋なアクションゲームも「グラディウス」ぐらいである。健闘したのが光栄のシミュレーションシリーズ。「三国志」「信長の野望」といったところがランクインされており、光栄が数年かけてシミュレーションマニアを育ててきた結果が出始めたといえる。




PC8801FH/MHの登場

1986年の11月に、88の後継機が登場した。FRとMRの後継で、FH,MHである。このモデルの最大の特徴は、今までの2倍のクロックでCPUが動作するということであった。それまでのPC88シリーズに使われていたCPUにかえて、8ビットパソコンでは初めてのクロック周波数8MHzの高速マイクロプロセッサーμPD70008AC-8を採用したのである。このモードは、本体前面のスイッチによって切りかえることができ、従来のソフトとの互換性は90%以上は保たれていた。
また、標準でJISの第1、第2水準の漢字ROMを装備。さらにこれにあわせてBASICの日本語機能も文節変換または、熟語変換ができるようになった。キーボードは使いやすくするために、「変換キー」「決定キー」など新しく11個が増えている。また、ヘッドホン端子を装備したため、ステレオタイプのヘッドホンも利用が可能となった。値段は、FHが168,000円(Model30)、MHが208,000円で、MHはMRと比べて30,000円、FHはmodel10と20がそれぞれ10,000円安くなっている。
製品名ではこれまでのPC88シリーズすべてについていた「mkII」という文字が消えたが、これは名前が長すぎるためにそうしたのだろう。

参考文献
画像 PC8801mk2SR ささじぃ氏よりご提供
画像 PC8801mk2TR 虎菊氏よりご提供
画像 PCマガジン 1986年5月 P.56より引用
ヤマハOPNの画像:電波新聞社パソコン音色ライブラリーVol.2 P.4より引用
PC88シリーズの写真:NECのカタログより引用